今村翔吾「湖上の空」第22回 | パリッシュ+エッセイ「今村翔吾 湖上の空」

パリッシュ+エッセイ「今村翔吾 湖上の空」

滋賀の情報誌パリッシュ+に連載中の歴史小説家今村翔吾さんの日常にあった出来事や歴史のお話などを綴ったエッセイ

 水戸黄門がTVで放映されなくなって久しい。時代劇好きの私としては寂しい限りである。
 水戸黄門とは水戸三代藩主、水戸光圀のことである。彼のことを水戸黄門と呼んでいるのだが、そもそも黄門とは何かということを知っている方はそれほど多くないのではないか。

 黄門とは、律令制の職の一つ「中納言(ちゅうなごん)」の唐名である。そもそも日本の律令制は、中国の制度を模して作られ、かつて多くの職が存在した。
 比較的有名なものだと、後に小豆の名前にもなった「大納言(だいなごん)」、豊臣秀吉の若い頃の官職である「筑前守(ちくぜんのかみ)」、あるいは明智光秀の「日向守(ひゅうがのかみ)」、真田幸村の「左衛門佐(さえもんのすけ)」など。

滋賀県の方ならば、石田三成の「治部少輔(じぶしょうゆう)」なども馴染み深いかもしれない。
 天平宝字2年(758年)、藤原仲麻呂が政権を握った時、「原点回帰して中国風に呼ぼうぜ!」と言い出した。この仲麻呂、中国を非常にリスペクト(尊敬)していたのだ。
 そのようにして言い換えられたものを「唐名」と呼ぶ。後にやっぱり止めようという流れになったが、それでも唐名は以後も使われ、数百年後の戦国時代でも普通に通っていた。

 回りくどくなったが、「中納言」の唐名こそが「黄門」なのだ。水戸光圀は中納言の官職にあったため、そのように呼ばれるようになったのである。
 この唐名で有名なものはそれほど多くないが、歴史小説を読む方ならば、度々出て来ることもある。関ケ原の戦い時代、徳川家康は内大臣の職にあったため、石田三成がその唐名で「内府(ないふ)め!」などと呼ぶ小説もある。


 あとは同じく関ケ原の戦いで寝返った小早川秀秋は「左衛門督(さえもんのかみ)」の職にあり、その唐名が「執金吾(しつきんご)」であったから、略して金吾などと呼ばれた。あとまだ知られているのは、武田信玄の弟である信繁の「典厩(てんきゅう)」、あるいは松永久秀の「霜台(そうたい)」であろうか。こうして考えてみると、唐名では圧倒的に「黄門」が有名だと気付いた。

一つだけ今、咄嗟に有名なものを思い付いた。それは「中務省(なかつかさしょう)」を唐名にした「中書(ちゅうしょ)」である。脇坂安治(長浜市出身)の大名が、「中務少輔」という官職についていた。彼が屋敷を造る許可が出た島がある。それが京都の「中書島」である。こうして気付かぬうちに、歴史に纏わる名称が今も残っているのは何とも面白い。

 

【profile】

今村翔吾/いまむらしょうご ■『八本目の槍』(新潮社)・第8回 野村胡堂文学賞 受賞・第41回吉川英治文学新人賞 受賞 ■『童の神』(角川春樹事務所)・第160回 直木三十五賞候補 ■『じんかん』(講談社)・第163回 直木三十五賞候補 ・第11回 山田風太郎賞 受賞 ■『童の神』コミック化!!「月刊アクション」(5/25発売)よりスタート ■『カンギバンカ』「週刊少年マガジン」50号から新連載開始!(直木賞候補にも選ばれた超本格歴史小説『じんかん』(著/今村翔吾)を原作が、その名を変えて新たな物語として描かれる!) ■フジテレビ系「とくダネ!」コメンテーター ■TBSテレビ系「Nスタ」コメンテーター