今村翔吾「湖上の空」第13回 | パリッシュ+エッセイ「今村翔吾 湖上の空」

パリッシュ+エッセイ「今村翔吾 湖上の空」

滋賀の情報誌パリッシュ+に連載中の歴史小説家今村翔吾さんの日常にあった出来事や歴史のお話などを綴ったエッセイ

 夏らしい食べ物といえば色々あるが、その中の一つに西瓜がある。この西瓜だが実に古くから食べられている。なんと確認されているだけで実に4000年前である。エジプトの壁画にも描かれているのだ。だがこの時は何と果実のほうではなく、種を食べていたと言われている。「いや、それ美味いか?」というのが率直な感想。

 

 種をほじくってポリポリと食べ、果実を地に捨てている古代エジプト人の姿を想像すると、思わず吹き出してしまいそうになる。2500年ほど前にヨーロッパに伝わり、その頃から果実を食べるようになったらしい。解熱効果のある薬としても用いられたようだ。もっともこの西瓜は黒皮が多く、今日私たちが食べるほど実は赤くなかった。オレンジに近い黄色で、甘みも随分と控えめだったと言われている。赤い実の記録に残っているのは700年前だというので、西瓜の歴史においては割と最近のことだといえよう。

 

 さて、日本に伝わったのはいつか。はきとは分かっていないが室町時代より後なのは確かである。ポルトガル人が南瓜と共に長崎に持ち込んだ説のほか、江戸時代初期に中国から伝わったという説もある。ただ当時の日本人は実が赤いことを、「気持ち悪っ!」と思ったらしく、それほど食べられなかった。石榴とかも赤いやんと突っ込みたくなるが、感覚的にどうも違うようだ。今のように大衆的に食べられるようになったのはようやく大正時代のことである。

 

 西瓜にはつる割病という、その名の通りつるがヒビ割れる病気があり、農家にとっては驚異だった。これを克服したのは日本人で、現在の兵庫県明石市で農家を営んでいた竹中長蔵という人。病気に抵抗性を持つ、南瓜を台木に、西瓜を接ぐ方法を編み出した。野菜の接木は世界でこれが初めての例で、後に茄子、トマト、ピーマン、メロン等にも活用された。今日、甘くて美味しい西瓜が食べられているのは、日本人のおかげも大きいのだ。今の西瓜を昔の人に食べさせれば、甘さで卒倒するかもしれない。だがあまりに古い人に食べさせたならば、きっと実は捨てて、種だけをポリポリと食べるのだろうと考え、また苦笑してしまった。

 

【profile】

今村翔吾(いまむらしょうご)1984年京都府生まれ。大津市在住。ダンスインストラクター、作曲家、埋蔵文化財調査員を経て、作家に。「狐の城」で第23回九州さが大衆文学賞大賞・笹沢左保賞を受賞。デビュー作『火喰鳥 羽州ぼろ鳶組』(祥伝社文庫)で2018年、第7回歴史時代作家クラブ賞・文庫書き下ろし新人賞を受賞。同年、「童神」で第10回角川春樹小説賞を受賞(のち『童の神』に改題の上、書籍化)。19年『八本目の槍』(新潮社)で「週刊朝日」歴史・時代小説ベスト10の第一位に選ばれた。また、同作は20年、第41回吉川英治文学新人賞を受賞した。