キリストの愛は、血とからだ ~世の建て替えなおしのヒント | かんながら

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旅の記録です

勢いに任せて現実界に降臨したわたしは、なぜか政治を熱く語る人たちに会うことが増えた。

 

わたしに振り当てられるのは、伊勢平氏おじさんを代表する「団塊の世代」に当たる人たちで、

たまに戦中や戦前生まれの人もいるけど、多くはわたしからみたら「いい目をしてきた」世代で、

よいも悪いも今の日本を創ってきた人たちである。

 

で、会社を引退した今も今の世を憂いて「世直し」を叫んでいる。

それも伊勢平氏おじさんと同じである。

 

神の島の小ニーニーもかつてつぶやいたことがあるけど、

「彼らが創った世の中なのだから、彼らにはその責任がある」ってわたしも思うけど、

多くの人たちは、「けしからん」とダメなところをあげつらって不満を述べているだけにみえる。

 

ウクライナの問題も、国防の問題も、予防接種の問題も、間違いなく彼らは情報をもっている。

 

伊勢平氏おじさんもあんなにコロナを恐れて、ワクチン待望論を披露していたけど、結局ワクチンはわたしに打たせて(彼はそんなこと言っていないと言っているが、わたしはそれで安心するのか、と確認した)、自分は打たなかったからね。

 

で、このひどい世の中は創った彼らが責任をもって、彼らが叫ぶようによく変えてもらわないと困る、と思う。

でも、相反する意見を持った相手の行動を変えるのに、自分の正しさをぶつけて白黒をつけて世の中が変わるんだろうか。

白黒の横断幕ってお葬式の時に使うでしょ。

死に向かうんじゃないかな。白黒をつけるっていう行為は。

 

 

このところ何度もいってるけど、日本の伝統は、紅白だと思う。

 

紅白の合戦は、真剣勝負だけど、めでたいのよ。

 

日本の国旗だって、赤と白じゃん。

 

 

場違いな私の前で披露されるさまざまな「情報」と「理想」は、

骨ばっかり、ってかんじる。

 

 

そういえば、骨太の改革、って言葉があったよね。

 

 

骨だけじゃダメなんだな、って思う今日この頃。

 

そういえばなにわの審神者が、わたしが伊勢平氏おじさんがらみでありえない骨折をしたころ、「アダムに治してもらう」みたいなことを言っていた。

やつの神事では、あのころ、「アダムのあばら骨」がでていたもよう。

 

アダムのあばら骨で、エヴァ(イブ)を創るわけなんだけど、たしか土なんだよ。

血肉っているのよね。

 

「骨ばっかりの改革案」を聞いてたら、ふと、ミサの時渡されるのは、

キリストの血とからだ(肉)だったなって思い出した。

 

 

カトリックでは、イエスの血とからだを、ワインとパンとして受け取る。

骨という意思や知恵に、イエスの人を思う愛を取り入れることでバランスをとるというか。

 

 

賢い人たちの議論を聞いてていつも思うけど、どんな正しい理論も、そこに愛がなければだめなのよ。

人としての愛。

 

最近ふりかえる、伊勢平氏おじさんが、あるときから方針変換したっぽい「小さなしあわせを大切に」は、人間の幸せなんだろうなって思う。

 

わたしには必要ない。

自分自身は家族とか、子どもとか、そういう普通のしあわせをとりあげられて、それを必要としない人間になっちゃったからね。

家族の情とかいらない。

そんなものをもっていたら悲しみで生きていけなくなる。

 

だけど、多くの人は結局偉そうなことをいっても「家族が大事」だもの。

そうでないと、働かないし、暴走するし。

 

家族とお金って、それがないと民度が保てないよなっていうのがわたしがコロナで学んだ、人間の本質。

 

わたしは逆で、人と暮らしていないと、自分自身が恐ろしく冷淡で、地球のために人間はほろんでしまったほうがいい、って思っちゃうから、パートナーが必要だって思ってるんだけどね。

 

 

だから、しろくまさん亡きあと、わたしを世話してくれる人がいなくなったからそろそろ危ないよ。

わたしもう正直、人間いい加減にしろ、って思っているから。

 

コロナの時期は、コロナという特殊事情が私を養ってくれてたからおとなしくしていたけど、

どうなっちゃうんだろうね。

 

 

品川駅のコンビニの屋根にはなぜかふくろうがいる。

なにげに品川駅は自分にとって東京の原点みたいなところ。

 

東京に通いはじめたときの行き先は、思い起こせば表参道だった。

依存症の自助グループ。

もうそのビルは姿は残っているけど、まったく別の場所になっている。

 

あのケヤキ並木に癒された。

そんなことはすっかり忘れていたけど、わたしが東京にきたのは、あのケヤキ並木に呼ばれたからだ。

 

そして、東京で仕事を得て最初に引っ越したのが当時港区のチベットと呼ばれていたらしい高輪で、最寄り駅は泉岳寺とか品川駅。

 

30年近くを経てわたしは今あの頃をまるでやり直しているかのような時間の中にいる。

そういえば、ちょっとまえに振り返った、ヨギの治療師と住まいがかぶっていたのはそれよりちょっとあとの時期だから、まるで退行催眠でもしているかのような変な感覚。

 

国立公衆衛生院 - Wikipedia

 

たまたま2件目の行き先の乗換駅が白金台で、これまたはじめての国立公衆衛生院。

建物が気になって見学にいったら、ロックフェラー財団の寄贈だった。

 

石工の存在を感じる。

台場もそうやってつくられたんだろうな。

 

この時期の建物けっこう好き。

 

 

特別なお誘いで招福楼のお食事会。

懐石料理の八寸とか、箸休めって招福楼が発祥なんだって。

そもそも招福楼は、多賀大社におまいりして、伊勢神宮参拝するときに使うところだったから、その中間地点にあるとか。

わたしには遠い世界なはずだけど、何かが働いてこういう機会が降ってくる。

 

明治神宮におまいりするようになって、お家元とも出会ったし。

 

今のわたしは場違いな感じなんだけど、子ども時代は母に連れていかれる会食は懐石料理とかそういうのばかりで、

お子様ランチとかハンバーグとかを食べたいってずっと思ってたんだよね。

こういう場にいって、子ども時代を思い出すという不思議。

 

母との暮らしは今思っても特殊というか、子どもらしい暮らしってやっぱりなかったなってかんじる。

それを嫌だとか悪いとか思ってもいない。

でもわたしに情がないのは、自分が情をかけてもらってこなかったからだろうなって思う。

しろくまさんに人間らしい暮らしを楽しませてもらって、ちょっとだけわたしにも人間に対するやさしさが育ったからね。

 

 

 

まったく場違いなはずなのに、かかっていたお軸は、みたことがある筆で、

やっぱり、纏向の帰りに立ち寄った寿司屋で知り合った社長さんに、宇陀に案内してもらったときに教えてもらった立花大亀和尚の書だった。

 

こうして待ってるわけよ、徴(しるし)が。

 

 

白馬 入 美花

 

 

白馬入蘆花 白い馬も白い花も溶け合っているってことみたい。不二一如。

神人和楽ってことかな。

 

わたし、今回だけ特別に、って呼んでもらったからってやんごとなきお方の真ん前の特別席にどうぞってことになり、なんか不思議な気分。

話の内容でふと思ったけど、ほかのメンバーはみな東の人たちなんだもの。

「弥生」って言ってたけど。

わたしだけ、関西の出身。

 

そういえば神の島の不思議ニーニーがあるとき言ってた。

「西の人間か」って。

東の人はあの神の島にはあわないらしい。

 

東京の人に失礼なんだけど、大阪にいたころ、東京にいくことを「東(あずま)に下る」って聞いて育ったんだよね。

関西人にとっては、都はいつまでも関西で(人によって奈良だったり京都だったり大阪だったり滋賀だったりする)、

天皇陛下をとられた、って思ってる。

まあ、そんなことを思う人たちも高齢化でたぶん私くらいの世代を最後にそんなことを言っていたことすら誰も知らなくなってそれも消えるだろうけどね。

 

鱧料理。

東京の鱧はおおぶりなんだってさ。

鱧は小さいほうがおいしいって関西では言われてる。だって骨がごつくなるから。

さすがの招福楼さんは、鱧に骨があるなんてことを忘れるやわらかさだったけどね。

 

 

招福楼さんはもともとは鋳物屋さんだったらしいんだけど、立花大亀和尚とご縁をつないでくださった宇陀の社長さんが鋳物屋さんだったっていうのもできすぎなミシマ劇場。

鋳物が伝えるものは?

 

鋳物、立花大亀和尚といえば、堺で鉄砲ってくるんだけど。

その先にある、種子島と宣教師。

いつものミシマ妄想。

 

 

帰りにメンバーで唯一同じにおいを感じる不思議ねえさんとお互いの卒婚について話したら、

「好きはうどんを好き」っていうのと同じ感覚だから離婚しても同居できる、っていう感覚を共有。

 

夫が女でも、友だちと結婚してもたぶん変わらないと思うというところも同じ。

わたしの周りには男友達も含めそういう人が多いけど、彼女は「同じ感覚の人にはじめて会った」といっていた。

 

瀕死で沖縄に行ったわたしにバイトアプリを紹介してくれたレジェンドが、東京に来るから一緒の現場に行きましょうといってくれてお台場。

台風接近の影響で土砂降り。風が強くてゆりかもめが止まらないか心配したが、なんとかなった。

 

彼はこの勤務で2000時間達成。

Good率100%。

わたしは「ぜひ直接雇用で来てほしい」って言ってもらってた某料理屋でついたらしいBad評価のおかげでその後回数を重ねてようやくなんとか戻して97%。

あの1回のおかげでどれほど迷惑しているか。

 

このあと、ごちそうしてくれるけど某料理がいいって言われて2軒あるうちの1軒が満席で、しかたなくその店にいくことになって、店長に会った。

店長はいい人だったんだけどな。

ぎょっとした顔をしてそのあと来なかったけど、お会計してもらって店をでるとき、「もしかして、、、」って言われて

「またよろしくお願いします」って言われて、なんとも不思議な気分だったよ。

わたしがBad評価をつけられてこの店からブロックされていることを知っているってわかってるのか、どうなのか。

 

わたしだって相手がぎょっとするのは想像できたから積極的には行きたくなかったけど、もう一軒はいっぱいだったのよ。

あんなに繁盛していたこの店が日曜日の夜コロナ中と同じいり具合だったからね。

 

 

わたしは近所だからでの店よく使ってるって言ってたのに、なにもBadつけなくてもいいじゃない!

よその店で言われたときまさかって思ったんだよ。

 

いつも言ってるでしょ、この世でもはや秘密にしておけることなんかないよ、って。

 

それでもこの人のいい店長さんにサロン結びを教えてもらえたことは財産で、出会いには感謝している。

 

 

台場という町も、わたしが最初に東京に出てきた時の舞台である。

仕事が終わってよくこの橋のたもとに夜景を見に行った。

そして労働闘争をやった時の知人の縁で、ここに建ったばかりの都営住宅に当選した。

 

あのとき、あそこに入っていなくてよかった、と思う。

たぶんほかの人にはその方が勝ち組人生なんだろうけど、つまんない人生だったことは間違いない。

 

翌朝は、予報雨量60ミリの中、朝の参拝とバイト。

盆栽と水石の展示。

 

 

わたしの最初の東京。

このころは思えば一度目の離婚前。

つまり、別居。

そのときには、一番目の夫が東京に来てくれ、彼が保証人になって部屋を借りた。

誰にも相談せず、二人だけで決めた。

少なくとも私は、彼をそれくらい信用していたし頼りにしていた。

 

 

つい最近も来たけど、その日は白金台の三州倶楽部。

白金台はしろくまさんのお父さんのお墓がある。

法事でここに来たことを思い出したり。

 

 

またまたびっくりなことに、会場の三州倶楽部は、最初の東京に出てきたときに居候させてもらった、女ボスの高級マンションがあった上大崎。

たしか山口百恵ちゃんが結婚して最初に住んだマンションがあったところ。

なんでこうも同じ時期の思い出に連れられるわけよ。

わたしの意識あまりにもピンポイントすぎない?

たぶん1995年。

阪神淡路大震災のあった年。

表参道に通った年も、高輪に住んだのも。

 

 

待っていたのは西郷さん。

 

 

最近鳥居にはカラスがいる。

そしてちょっと前まで2羽いた鷺はいなくなった。

 

ついに鳥居にカラスが2羽のっていたり、いよいよ明治神宮がカラスの森に。

 

たしか鷺は、明治天皇のお母さんゆかり。

あとは、小泉八雲。

ハーンって鷺なんだって。ラフカディオ・ハーン。

 

 

確か小泉八雲は、ギリシャの生まれ。

 

明治天皇のおかあさん?

そういえば、いつだったか、今帰仁の不思議おじさんから電話きたよ。

 

明治天皇のおかあさんは、鍛冶屋の娘まじるおばあ。

 

 

鍛冶屋の娘。

たたら?鷺と関係あったりしてね。