ヨミガエリの旅 その2 〜美保関から出たものは・大国主の復活の地 編 | かんながら

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旅の記録です

ヨミガエリの旅 その1 〜美保関から出たものは・雲津諏訪神社編からのつづき。

 

雲津までのドライバーさんにはお礼の品(蛇の抜け殻)をお渡しして

雲津からのご案内人のクルマに移動。

 

 

最初の案内地は、鳥取県西伯郡南部町鎮座 赤猪岩神社(あかいいわじんじゃ)。

 

 

大国主さんが、「赤い猪」と信じて受け止めて大火傷をして亡くなってしまった石を封印している神社。

 

 

赤く焼けた石って、鉄だと思うのはわたしだけ?

赤って、私の中では、閼伽で、丹生。

 

製鉄集団 VS  大国主さん。

 

そこで、再生の鍵は、赤貝と蛤。

赤貝が、石を外して、

蛤の粉を塗ると、大国主は蘇生する。

 

蛤の白い粉のくだりが、ベツレヘムのミルクグロット教会を思い出す(降誕節は琉球へ その6 ガリラヤ湖のイエスとマグダラのマリア 〜北大東から南大東へ)。

そうだ、鍾乳洞のある石灰岩。

最近やたらみている気がする。

 

 

ミルクグロット教会はwikiによると

キリスト教の伝承によれば、エジプトに逃れる前の聖家族が「ヘロデ大王による幼子の虐殺」のあいだ、この場所に避難していたという。聖母マリアの胸から「乳が一滴」洞穴の床に落ち、そこが白く染まったという物語にこの名前は由来する。この空間は3つの異なる洞穴からなり、夫婦間の不妊の癒しを期待する巡礼者が訪れる。

 

この写真、ある日突然、私のiphoneに登場して名前を聞いてきた(ベツレヘムのマリアさまの降臨 〜聖母たちのララバイ)。

 

マリアの乳で、イエスは育まれる。

根拠はないけど、大国主の再生物語を聞いて、なんとなく、このイメージがきたんですけど。

 

 

 

 

「受難」「再生」「次なる発展への出立」か。

 

なんとなく、「イエス・キリスト」と重なるのはわたしの思い込み?

 

 

「封印されている赤猪岩」の説明には、

 

二度と掘り起こされることがないように、土中深く埋められ大石で幾重にも塞がれ、その周りには柵が巡らされ、しめなわが張られています

これは、「厄の元凶」に対する注意を、子々孫々まで忘れてはならないことを教えています

 

とある。

掘り返すと、厄の元凶か。

 

確かに、今生きている人の意識が低かったら「良い・悪い」の二元論で、争いを蒸し返すだけになるだろうからね。

 

 

 

光の強い、清らかな場所だった。

 

 

 

 

御祭神

大國主神(おおくにぬしのみこと)

素戔嗚尊(すさのおのみこと)

刺國若姫命(さしくにわかひめのみこと)

稲田姫命(くしなだひめのみこと)

 

 

 

次にご案内いただいたのは、、「オハツキタイコイチョウ」という樹齢約600年の巨木が有名な、

大石見神社(鳥取県日野郡日南町上石見819)。

大国主命、二度目の復活の場所。

 

 

 

 

 

 

大名牟遅(大国主の命)は南部町の赤猪岩神社での復活の後、腹違いの兄・八十神の命の嫉妬が和らぐのを大倉山(大蔵山)の麓にて隠れ逃れたとも、また八十神の命に謀られ落命するが、母神の助けにより二度目の復活をしたとも言い伝えられます。
神紋は「亀甲の中に三つ葉柏」を表現しています。柏の葉は春の新芽が出るのを見届けるまで落葉しないことから「復活」にも無縁ではありません。

 

とのこと。

柏の葉は、春の新芽がでるまで冬も落葉しないことから子孫繁栄ってことみたい。

 

柏のマークは、メトラー(ユダヤ教の燭台)に似てる。

 

 

 

絵馬がかわいかった。

 

 

 

 

ちょうど八重の山吹はおしべがないって話をどこかでみたばかり。

復活の逆。

 

 

今日はとにかく光が強い。

 

 

 

 

この日はてんとう虫がずっとついてきた。

 

 

そして、根雨駅から電車にのって一路岡山。

岡山駅に長年のネット仲間のちぇりさんが迎えにきてくれて、おうちにお邪魔することに。

 

本当は東京で会うはずだったんだけど、こうして場所を変えて会うことに。

 

彼女がもたらしたのは、「神様カードを引いたら桃だった」っていう話。

 

それって、意味あるでしょ。

それは岡山だから桃太郎、ってだけではないのである。

 

なにわの審神者(さにわ)が、

 

「55と、45を足したら、モモや」

 

 

といってきたから。

 

つまりは、新暦5月5日=55、旧暦4月5日=45を足したら

100=百(もも)ということを言っているみたい。

 

そして翌日ドライブに行こうってことになって、ちぇりさんが

「四国でもいい」っていいはじめたとき、なにわの審神者(さにわ)から電話がかかってきて、

 

「崇徳天皇」と言ってきたのだ。

 

 

 

そういえば、崇徳天皇の御陵は牛首(梅と桜は出会ってはいけない!? 〜過去の約束という鎖は、よい未来のために断ち切ろう)からずっと気になっていた。

 

しかも、小ニーニーが、

「運が悪くなったのは、讃岐にいってから」って言ったとき、

なぜか「お地場踏んだ!」って直感して、そのとき崇徳院と、彼はなんかある、とは思っていた。

 

もちろん伊勢平氏おじさんからは、以前にわたしが図書館で借りた「後白河院」の本を読んでいたとき、

「自分の先祖だからよく読んでおくように」みたいなことを言われていたが、源氏方まで登場するとは思っていなかった。

 

小ニーニーに限らず、沖縄には「(崇徳院に味方した)源為朝が初代琉球王舜天」って噂話もあるくらいなのだから、源氏とも深い関わりがあるわけだけど。

 

 

 

まさか、前回の記事(ヨミガエリの旅 その1 〜美保関から出たものは・雲津諏訪神社編)で書いたように、

保元の乱にかかわってくるともおもわなかったし。

 

 

「わざわざ」って感じでいけていなかった崇徳天皇を訪ねる旅。

岡山からだったらすぐじゃん。

 

ということで、ちぇりさんのひいた「おおかむづみのみこと」の祀られている阿波の賀茂神社と、

崇徳天皇陵にいくことになったのであった。

 

(つづく)

 

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