2025.2.4父が旅立ちました🌈
父は、母が施設にお世話になってからというもの、一人暮らしをしていました。
と、いっても、家事は何もできない九州男児のため、また少し認知も見られてきたこともあり、朝、夕毎日、お食事はヘルパーさんに入っていただき、週1回はお掃除、訪問看護も入れていただきながら、4年以上、生活してきました。
わたしも弟も関東圏に住んでおり、年何回も帰省できませんでした。途中、コロナの時期もあり、1人でさみしかったことと思います。
散歩🚶で遠出してしまい、家に帰れなくなったり、いろいろなこともあったので、母と同じ施設に入ってもらえないか?
何度も話してみましたが、承知しませんでした。
もう1人暮らしには限界がきていたので、わたしは両親を関東圏に連れてきて、一緒に生活する準備を進めていました。
遅れに遅れていましたが、やっと家が完成し、暖かくなったら🌸連れて行く予定だったのですが、半年遅かったです🥲
でも、父は九州男児なので、(佐賀で生まれ、そのあとは北九州)やっぱり九州を離れがたかったのか?
一度、車に乗ってる時、自分からわたしに
「もう、ここは飽きたね、次はどこに住もうかと考えとる」と言ったので、ピックリしたことがあります。ちょうど、家を建築中で、そろそろ話そうと思っていたところでした。
「そうなんだね、じゃあ富士山🗻が見えるところはどうかな? わたしたちと一緒に住まない?」と言ったら、
「お母さんがいいなら、行くよ。わたしはどこでも行くから」と言っていたんですよね。たまに、父は確信をつくようなことを言うんです。普段は口数少なかったのですけどね。短氣だったし、わたしにって父は、ずっとよくわからない人だったんですけど、大事なことは直感だったのか?
わかっているようなところがありました。
父は散歩🚶が好きで、毎日タバコ🚬を片手に出かけていました。八ヶ岳の家からのお散歩ルートも考えていたんだけどなぁ〜
始めに見つけた土地は、車の通りに面していたので、お散歩にはふさわしくない場所でした。今のところは、大丈夫だったけどね。
お通夜、お葬式は家族、親戚で小ぢんまりと行いましたが、それでも昔、会社でお世話になった方など、来てくださり、父のことを聞いたり、話したりする機会がありました。
わたしは、高校から上京したので、15歳までしか一緒に生活していません。
今回、わたしが知らない父を少し、知ることができましたね、
わたしが思っていたより寛大で、優しい人だったようです🤣
今頃だけどね。