大船渡の山林火災を見て思うところがある。
3・11からしばらく経った頃私は釜石から仙台までの海岸線をレンタカーで走った。
震災直後に社命によって仙台に復興応援部隊として入り悲しい状況を知っていた。
仙台の高層ビルにある支社の窓から色が変わってしまった海岸が見えた。
「あのあたりに行っても私達には何も出来ることは無い」
そう言われて近づくことはなかった。
ずっと気にしていた。
それから一年くらい経ったろうか、気になっていたことを確かめに行った。
リアス式海岸である被災地の様相は予想していた以上に明暗の分かれたものだった。
上がっては下りて、上がっては下りてを繰り返す沿岸の風景はこうだった。
上がっていくとのどかな田舎の集落が無傷で残り何の変哲も無い、
下っていくと何も無い、有ったはずの漁村はすっかり赤茶色の土に覆われている。
その風景が限りないほど延々と続いていく。
標高というものが分けてしまった”変わらない平穏”と”すべてを失った者”。
その対比は余りにも無情な何者かの仕打ちに思えた。
神の悪戯なのか?
今回の山火事を見てその風景が蘇ってきた。
あの時から十数年が経って被災者はどれほどの苦労をしてきただろうか。
それが又繰り返されるのか。
被災者に追い打ちの苦労を背負わせる今回の山火事。
早く収ってほしいと祈ることしか出来ない。