凶弾に倒れた安倍元首相は国葬にされるようです。
今頃苦笑いしているんじゃないでしょうか。
いくら長期政権で功罪取り混ぜて日本を引っ張った人だったとは言え、在任中にはグレーなことで物議をかもした人物です、犠牲者も出ています、国葬には反感を持つ人も多いでしょう。
銃撃犯は”統一教会”に深い恨みを抱いていたそうですが、ひょっとしたらそのことには共感する人が多いかも知れません。
統一教会と聞くと”国際勝共連合”から反共攻撃を受けた共産党サイドもそうですが、一般人もカルト宗教団からの洗脳や悪徳な商法、理解出来ない”合同結婚式”などで人生に悲劇を被った人が多数いるのでしょう、寄進で財産を没収された人も多いと聞きます。
襲撃犯人を肯定する訳は有りませんが、少なくともカルト宗教にのめりこんでしまった家族(母親?)よりは理性的な生き方をしてきた人だったように思います。
世の中には手製の銃で撃たれて国葬になる人がいるかと思えば、ウクライナのように市街地にミサイルを撃ち込まれ死んでいく人々がいます。
拳銃にしろミサイルにしろ、まして核兵器など、この世界に人を殺す武器というものなんぞが存在していて良いものでしょうか。
そんな物を作ることが許されて良いのでしょうか。
私はこう思います、そんな物なんてとてもつまらない物であると、人間が作る物ではないと。
人殺しは究極の犯罪でしょう、人殺しの道具を作ることも犯罪ではないでしょうか。
戦争だから許されるのでしょうか?
事故や災害で死ぬのも悲しいことですが、人殺しが目的の道具にで人が人に殺されるのは人間として悲しすぎます。
ゼレンスキー大統領は各国にしきりと武器援助を訴えますが、道理はあっても悲しみを増やすことには間違いありません。
紛争は平和的な解決が本筋で理想的です。
「それでも撃ってくるなら撃ち返さないと殺されてしまうよ」、そこなんですよね。
武器なんてもんが有るから起るジレンマですよね。
武器を無力化するような機械、そんな素晴らしいものが発明出来ないものでしょうか。
安部ちゃんの銃撃犯は銃も火薬も自作して、威力も確かめて凶行に及んだようです。
素人が簡単に武器を作れてしまう困った世の中です。
空想映画にあるようにスイッチを押せばすべての武器が無効になるような、そんな機械が、
もしも発明されたならば、発明者は国葬にされても誰も異議を唱えないでしょう。