今年のお正月。

隣町の神社へ初詣に行き、賽銭箱に5円玉を投げ入れて自分の健康を祈願しました。

神様なんて信じてないのですが、自分の気を引き締めるための儀式とでもいうのでしょうか。

にもかかわらず5月6月と2回の入院をしてしまいました。

5円玉が神々の怒りを招いたわけではないでしょう。

糖尿病と虫垂炎ですが立て続けに入院をしてしまいました。

その原因の起点に精神科の医師がかかわっていたことは残念ながら事実です。

私はもう5年も精神科への通院を続けていました。

何故かというと、それは楽しいことだったからです。

医師との会話が、馬が合うって感じなのです。

100キロ近く2時間半の道のりも苦にならず通い続けていました。

通院のきっかけはそれなりに訳がありました。

私も一時は真剣に、医師に「先生助けてください」とすがったことがありました。

当時の私は精神の統制を取るには置かれた状況が悲観に過ぎました。

今まで順風満帆だったとは言わないまでも、大きな苦難を知らないまま生きてこれました。

悲観はじわじわと侵略してきてやがて逃れられない事だと知るのです。

妻はベッドに寝たきりになってしまい、体も動かず声さえ出ないという、死を待つ残酷な病にかかっていました。

この悪夢はいつ覚めるのかと私は恐れ、酒に逃げても現実は消えず毎朝そこに現実が表われました。

そんな妻のところへ、訪ねてくる人がいました。

精神障害者の就労支援を仕事にしていた妻の、いわば生徒なのでしょう。

話を聞いているだけでも辛いだろう妻の枕元に座り込んで、

これは私の偏見かもしれないが、この種の人特有の、

自分のことしか見えていない狭い視野の話を長々としゃべり続けるのです。

「回りへ思いやりや慈悲というものは持ち合わせてないのか」

首を掴んでたたき出してしまおうかと思う私にも、実はやはり自分が一番大切だと思うところはありました。

私もやがて人から見ると「おかしい部類」と思われるようになっていきました。

8階から廊下の手すりを乗り越えて飛び下りたらどんなに楽になれるだろうか。

そして家族にこの精神医のクリニックに連れていかれたのです。

妻は元気なころ、私が助けを乞うたこの医師とつながりがありました。

職業柄のことだったのでしょう。

夏の花火大会には医師の高層階の自宅に招待されていました。

そんな親近感?も作用したのか、私はずるずると、この医師と関係を持ち続けた。

医師は多くの薬を与えてくる。

恐ろしくて大方は飲まずに、自立支援制度という税金をどぶに流してきたのですが、

実は今年になって気まぐれでオランザピンという薬を飲み続けた時期があったのです。

そしてその効果?が十分表れた5月ころに内科の検診を受けた。

内科の医師は腰を抜かした。

血糖値が尋常ではなかったから。

通常の血糖ではなく過去2か月ほどの平均値を表すHbA1cが危険レベルを突き抜けてしまっていたのです。

「13.5は初めて見ますね、即入院が必要です」。

「待ってくれ一週間ほどの猶予をください」。

元々医師からは糖尿病だと宣告されていて、こんな日が来るんじゃないかと予感はしていましたが余りにもひどい数値に血の気が引いていきました。

しかし、薬局でこんな忠告を受けたのです。

お薬手帳から精神科でオランザピンを処方されていることを知った薬剤師が「糖尿には危ない薬ですよ双方の医師は知ってますか」。

「医療の連携を図れ」と日頃言ってる私のくせに精神科に通い詰めてることを引け目に感じて内科医師に情報提供していなかった。

何にしろ入院は決まってしまったので自宅で食事制限と運動を始めた、かなり本気で、もちろんオランザピンは没。

精神科医は忘れてしまったのだろうか、過去にいつもの世間話の合間にHbA1cの異常値について指摘してくれたことを。

そのとき「この数値を放置しておく内科医は・・・変えた方が良いんじゃない」と。

そして入院の日、内科医師はインシュリンの打ち方を覚えてくださいなどと脅してくるのだが、

あれっ、それほどでもないよ血糖値。

入院中はたいして運動もしないのにどんどん血糖値が下がっていくんですよ。

5日目には入院している必要が無くなって「早く出て行ってちょうだい」。

それからは自宅で糖尿病予防に励んで体重は5~6キロ減少しました。

そうしたら、

次の検診日、血液検査全般が良くなってきました。

「生来下痢体質だったのが便秘体質に変化してしまったんですよ」

医師は「今まで必要以上に食べていたのですよ」

その通りだと思う。

しかし生まれて初めての便秘体質への変態には何か嫌な予感がしていました。

3日くらい便通が無い毎日でした。

そして嫌な予感は的中しました。

ある夜、

痛い。

痛い、痛い。

痛い、痛い、痛い、下腹が。

救急車呼ぼうか迷ったけど我慢してしまった。

昼間は治まったので油断しいました。

次の夜、

痛い。

痛い、痛い。

痛い、痛い、痛い、虫垂炎だなこれは。

カッチカチの便が虫垂に入り込んだようです。

今までの人生で最大の腹痛。

朝まで我慢して速攻で休日診療へ駆け込んだ。

CT撮ったら虫垂炎か憩室炎だね、手術できる病院へ直行せよ。

息子に運んでもらってからいろいろな検査してたら夕方になってしまい、やっと「虫垂炎穿孔です、即手術」。

麻酔から目が覚めたら尿道やら腹部やらにいっぱいチューブ突っ込まれていました。

身動きできないし、やたら痛い。

盲腸なんて4~5日で退院かと思っていたらなんと9日間もベッドに寝る始末に。

虫垂が破れて腹の中ぐちゃぐちゃだったそう。

それが6月中頃でした。

退院後も食欲減退、水も欲しくなくなって、体重は10キロ近く減少してしまった、足なんか細~いの。

暑いから運動する気は起きないし横になってることが多いため背骨も曲がり腰が痛い。

オランザピンの誤投与が起点になって、

次から次へと関連性のある不調が起こっていくような気がします。

遊んでる余裕はないので精神科医とは名残惜しくもお別れとしました。

とりあえず、よれよれの体で、

今度の集落の出会い(水路の草刈り奉仕作業)では怪我をしないようにしよう。

自分の健康が一番大事だからね。

草刈り機の刃はナイロンに変えておこう。