朝の気温が日に日に下がってきました。
ストーブを焚く前の室内で10度ですから外は5度くらいでしょうか。
昨日、M君がご両親を伴って引っ越しの挨拶に訪れました。
せっかく居着いてくれると思っていた若者が去っていくのは残念ですが仕方がありません。
引っ越し先は沿岸部ですから山あいのこの集落よりは暖かいでしょう。
海釣りの好きなM君ですから海岸まで5分という立地は好都合ですが、ご両親は地震のことを心配されます。
自然災害は何時襲ってくるか分かりませんから備えにも限度があります。
何時起るか分からない津波に備えて漁師をやめて山で畑を作る、というような人は居ないでしょう。
人それぞれに生活がありますから、その生活の為には何かしらの危険性は背負っているものです。
私の住む山の集落も超巨大地震で地滑りしてダム湖の底に沈んでしまうかも知れません。
そんな心配をしていては何処にも住めませんし生活など出来ません。
ところで、雨が降りません。
干からびた畑に水を撒いています。
降るときは降り続いて大豆を全滅させてくれた雨も気まぐれなようです。
雨は降らずとも水には不自由しません。
家の前の水路には、今では田んぼに要らなくなった山からの水がとうとうと流れています。
一年中枯れることなくとうとうと流れています。
飲みはしませんが飲んでも支障のない綺麗な水です。
この無駄に流れる水を、外国で水に不自由している人々に分けてあげられないものかと思います。
昨日のニュースでアフガニスタンの人々の暮らしぶりを観ました。
政情不安からの物価高で家賃が払えなくなり、カブールからバーミヤンの無料洞穴に避難してきた家族です。
これからの季節夜は-20度にもなるという、岩をくり抜いた穴に住んでいます。
燃料も買えず枯れ草を集めて燃やして暖を取ります、子供は栄養失調であばらが浮き出て、今後100万人が死ぬと予想されています。
そして水が無い。
毎日の生活水を一輪車で片道30分かけて汲みに行きます。
隣で洗濯をしているような場所の汚れた水を、枯れ草で煮沸させて飲み水にしています。
無くなれば又一輪車を押して汲みに行かなければなりません。
そんな生活を続けられるものでしょうか。
なんとかならないものか。
目の前で無駄に流れているこの水を送り届けられないものか。
花子、「何百万人もよ」
太郎、「・・・」