お寺でお彼岸の法要が行われた。

毎日ウォーキングで行くお寺の名は清水寺という。

たぶん日本で一番知られているお寺と同じ名であるが「せいすいじ」と読む。

無住寺であるが檀家によって寺は維持されており、隣の集落のお寺の和尚が兼務してくれている。

無住寺は増えてきたが廃寺となることは少ないようである。

春と秋のお彼岸とお盆に檀家が集まりお経を唱えてもらう。

経本が配られ和尚と一緒にお経を唱えるのだが、

和尚はもちろんお経を丸暗記しているが檀家の人も意外に暗記している人が多かった。

皆が深い仏教徒では無いはずだが長い間に覚えてしまったのだろう。

私は般若心経さえも経本を見ながらでないと言えない。

寺には年忌法要一覧が貼り出されており妻の一周忌に始まり50回忌(S48没)まできちんと管理されている。

この和尚、私には想い出深いことがある。

祖母の13回忌のときだったと思うが、世間はイラク人質事件で騒いでいた、

人質になった青年達に執拗なバッシングが繰り返されていた。

私は人質を擁護する考えであったが周りの人とは意見が異なり衝突することも多かった。

和尚はそんな世の中を嘆き、人質の青年達を擁護する姿勢で説法をしてくれたのだ。

私は間違っていなかったんだと安心すると共に、狂った世の中に失望もした。

 

今日は地下鉄サリン事件から25年である。

とても良い陽気の日であったとはっきり覚えている。

そんな日にとても悲しい事件は起こった。

狂気のテロは優秀な青年達によって引き起こされた。

どこかで踏み外してしまう恐れは、絶えず青年達につきまとっている。

今でも。

 

寺の和尚と深い話をするような機会はもう無くなってしまった。