田舎のドラッグストアーでもレジに長蛇の列。
両手にトイレットペーパーを持っている。
父の養命酒と加美乃素を買いに来た私は、「そんなの買いだめしなくても大丈夫だよ」と言いたくなる。
それでもトイレットペーパーは人の不安をあおるようだ。
オイルショックのときもやはりトイレットペーパーに人が殺到した。
紙は最後にトイレットペーパーや漫画本になっていく。
水に溶けて流れてハイおしまい。
ダンボールや新聞紙は紙のリサイクル課程では上位にいる。
ダンボールに魅了されて大手企業を辞めダンボール屋になった人物に飲み屋で遭遇した。
ダンボールには果てしない需要先と優れたデザイン性が有り将来絶対成功出来ると確信して事実そうなったんだと話してくれた。
熱く語ってくれたダンボール話に「家も作れてしまいそうだな」と本気で思ったのはアルコールのせいだけではない。
ネット通販で取り寄せた商品のダンボール梱包に中身以上の創意工夫を見つけ感心させられてしまう日常になった。
新聞ではいつも妻に叱られていた。
満員電車でクシャクシャになった新聞を妻は「あ~手を切りそうなピンッとした新聞が読みたいものだわ」と言った。
妻によると新聞紙の状態で記事の内容も変るんだそうだ、これは私もなんとなく分かるので申し訳ないと思っていた。
新聞紙屋さんというのが実在していて紙質を指で触っただけで見極めてしまう、各地を回って各紙の紙質をチェックしているんだという。
単車に乗るとき新聞紙をおなかに一枚当てておくと風が通らず意外に暖かいものだ、トイレットペーパーや漫画本ではこうゆう芸当は出来ない。
ふすま屋さんが「和紙無いかの~」と聞いてきた。
この種の職人さんは本物に仕上げようとすると見えない所にもこだわる。
ふすまの内張には昔から和紙を使うそうだが近年それが入手し難くなった。
そこで各家で尋ねてみて墨で書かれた昔の和紙が残っていればそれを使うそうだ。
古い借用書や呪いの手紙なんかが内張に使われているから家人は夜な夜なうなされる訳だな。
あれっ、何話そうとしてたんかいな。
あっ、トイレットペーパーやった。
紙が最後に行き着くのが溶けて無くなるトイレットペーパーで、
トイレットペーパーを作ろうと思って木を切る人はおらん訳や。
逆に言うと紙の需要が有る限りトイレットペーパーは出来てしまう訳や。
だからトイレットペーパーだけが無くなることは絶対無いの。
皆が買い占めに走るから一時品薄になるなるだけなんよ。
使い捨てマスク不足もよく似たメカニズムやな。
しかしマスクはもう少し功罪は複雑。
トイレットペーパーが立派に役目を果たして水に流れて行くのに対し、
マスクはその効果が怪しいにもかかわらず人々に安心感を与えてしまうということ。
言わばだましのテクニックに長けた商品なんだ。
こんなんはテレビショッピングでたたき売りされるべき物なんだな、本来は。
政府が一生懸命に増産をあおるのも”自分たちと良く似た臭い”がするからだろうね。
