Hさんは1反の田んぼで約10俵の米を穫る。
私はその内3俵の米を買い穀物冷蔵庫で一年間無駄に電気を消費させつつ食べ続けて太る。
その米は私1人で食べているのではなく、おおよそ平均的一家族くらいが食べていると考えて正しい。
要はHさんにかかれば1反で3家族分くらいの米が穫れてしまう訳だ。
Hさんは米作りが上手なので誰でもが10俵穫れるると思ったら間違いで、
現に去年は気候条件悪く7俵の収穫であった、が、Hさんは落胆はしていない。
採算性なんぞを考えたら1反百姓はやっておれないのだ。
以下、ある書物より引用
一反歩(10アール=300坪)の土地があれば、一家が十分自給自足できるというのです。
さらに話は進み、「国民皆農」を彼は唱えました。
「狭い日本、そんな土地などあるわきゃないさ、あったてできるわきゃないさ」
いや、そうでもないようですよ。
本書から興味深い点を一部だけですが引用させていただきます。
私なんかがコメントできる内容ではないので引用だけにとどめたいと思います。
人々の帰農を拒否している第二の難関は、農地が入手できるかである。
小さな島国の中に一億人がひしめき、地価は暴騰して農地を入手することは極めて困難にみえる。
そんな状態の中で私はあえて国民皆農をとなえているのである。
日本の農地は約600万ヘクタールで、大人一人当り10アール(300坪=一反)以上の面積になる。
日本の土地を2000万世帯に分割すれば、一家一世帯当り三反歩の農地と、その他に山林原野が一ヘクタール(一町)がつくわけである。
一家数人の者が、完全な自然農法で自給体制をとるために必要とする面積は、わずかに10アール一反歩でよい。
その面積の中で小さな家を建て、穀物と野菜を作り、一頭の山羊、数羽の鶏や蜜蜂を飼うこともできる。
もし全国民が本当に一反百姓の生活に満足できるならば、その実現は不可能なことではない。
人々は地価の暴騰している現在、それは絶望的だと思っているのであるが、実際は日本の土地は十分ありあまっているのである。
確かに、日本の農家は、世界で一番勤勉で技術が進み、多収穫しているが、土地が狭く経営の条件が悪いため、
経済的にみれば、労働の生産性が低くて、割り高の農産物になるから、外国産のものにたちうちできないとみられやすい。
したがって農業学者は、生産費が低くて、割安の外国農産物を購入する方が、商売としても得である。
日本で農業をするのは、根本的に無理で、食糧は国際的に分業して、米国あたりで作ってもらえというのが、彼らの理論であり、それが現在の日本の農政の根幹となっているのである。
ところが、農業の本質は、もうけるもうけないは目標にならない。
その土地をどんなに生かすかが最大の問題となる。
自然の力を最大限に発揮せしめて上作をすることに目標をおく。
それが、自然を知り、自然に近づく道でもあるからである。
所得本位でなく人間本位でもなく、その田畑が主体である。
自然の田畑が、自然の代理者であり、神である。
神に仕える農夫なれば、彼の報酬は第二の問題で、田畑がよく豊かに稔れば、百姓はそれを喜び、満足できるはずである。
その意味からすると、日本の百姓は土地を生かすことに忠実であったから、世界で最も優れた農夫であったといえる。
五反百姓、一反百姓は、農業の源流の姿といえるのである。
また、一反百姓論は貨幣経済からの脱出を目ざしているものである。
多収をあげながら日本農民の労働生産性が低かったということは誇りになっても恥ではなかった。
低収入は農産物の価格が不当に安すぎたか、生産資材が不当に高く、生産費が割高になつたことによっただけのことである。
ところが、農作物の価格を決めるのも、生産費になる資材なども、百姓が自ら決定するということは、今だかつてなかった。
日本の農作物の価格が高くなるのも、安くなるのもあなたまかせで、自家労力に対する報酬なども計算したことはなかった。またその必要もなかった。
ということは、百姓は、金を目的としているようにみえて、金には無縁であり、所得のために農業を営んでいたのでもなかった証拠である。
私が極言して、農作物に価格がいらないというのは、あっても百姓には無かったのと同じであるという意味と、
自然農法に徹し、あらゆる科学的資材を使わず、自家労力を計算外にすれば、農産物の価格は零となる。
もし全世界の農民が、この考えに立てば、世界の農産物価格は、万国共通で同一になってしまうということである。
すなわち価格無用論になろう。
価格は人為的に造られ、自然にあるものではない。自然はもともとただであって、無差別、平等でよかった
自然に金銭的価値はつけられない、本来自然の農作物には、貨幣は無縁のものであった。
日本の米も、タイの米も、農民の米価は同じでよい。キュウリが真っ直ぐだろうが、歪んでいようが、果物の大小にもケチをつけるべきではなかった。
苦いキュウリ、酸っぱい果物にも別の価値があるはずである。
少し違うんだけどね、
私もよく似た考え方ではある。
2013/03/15 マイホーム
だいぶん緩んできました
東大寺の「お水とり」を過ぎると寒い日は無いと教えられたでつ
好機到来気浮浮然現実辟易萎? Google翻訳→yes or no
https://translate.google.co.jp/?hl=ja#view=home&op=translate&sl=zh-CN&tl=ja&text=%E5%A5%BD%E6%A9%9F%E5%88%B0%E6%9D%A5%E6%B0%97%E6%B5%AE%E6%B5%AE%E7%84%B6%E7%8F%BE%E5%AE%9F%E8%BE%9F%E6%98%93%E8%90%8E%EF%BC%9F
将来
私の子供や孫が自力で生きていくのは難しい世だと思います。
甘い育て方をしてきた親の責任があるのは承知していますが、
そんなことを気に病んでいる訳では有りません、少し気にしていますが。
ぎくしゃくした我が家ですが、我が家だけのことでは無い様な気もします。
人が生存していける環境は我が家以外でも急速に失われております。
せめて暫く生き延びれる”HOUSE”を作っておいてあげましょう。
地上に二世帯住宅を建てる人もいますがそれは問題です。
親との同居を嫌がるとか嫁との関係がどうのこうのとそっちの話では有りません、
家は地上に建てるものだという常識概念を怪しむのです。
地中に穴を掘って住んでみても良いのではないかと。
昆虫や動物の多くは穴を掘って地中に巣を造ります。
人も大昔は洞窟に住んでいたでしょう。
生めよ増やせよ地上に満ちよと神の悪意で地上に楽園は無くなりました。
38万k㎡の日本の国を1億2千8百万人の人口で割れば、
一人分3000㎡の勘定です、人口密度が微妙な加減です。
自分達夫婦と子供夫婦に孫二人、計6人では18000㎡、
百数十m四方の地表に穴一個(戸)です。
そこに降りそそぐ太陽からのエネルギーは如何ほどか?
1平米で50w程度はいけるでしょう、すると約千kwか、
メガソーラー1台/一家か。
どうです、
明るい未来が約束されましたか?それとも。
家内中の野菜を作るのは30m四方で十分です。
穀物も工夫すれば50m四方でいけます。
残りの自然林には鳥も獣も訪れるでしょう。
兎を狩って新鮮なカツオと交換すれば良いでしょう。
「スーツケースが重いからエレベーター動かして頂戴」
”どちらへご旅行で?”
「マルタ島よ」
”マルタ島のカツオですね”
話がおかしくなってきました。
地表に人工物を作ってはいけません、自然任せにしておきましょう。
私達が生業としているビルヂングなどはもっての外です。
天に伸びるのではなく地に掘り下げましょう。
地表は温存しておかねばなりません。
世に蔓延る”合利性”に騙されず自然の合理性に委ねましょう。
人間が下手な細工をすると効率は落ちてしまいます。
草木生い茂るままの自然がいちばん良いのです、
それが最も永く人間の生存を支えてくれます。
早速、未だ放射能に汚染されてない土地を手に入れ、
税務署に見つからぬ様に掘り始めましょう。
あなたの努力次第で地下の我が家が出来上がっていきます。
どこまで掘ってもあなたの自由です!!
10mも掘ると年中一定温度の快適スペースが出現します。
省エネで地震にも強い我が家、津波や洪水にはちと工夫が必要ですが。
子供が外でいじめられてくるかも知れません。
お前の父ちゃん原発屋の端くれだろうといじめられ、
窓から飛び降りようとしても窓は無いので安心です。
引き籠りにも地中の静寂な環境が心を癒してくれます。
テポトンが爆ぜても地下から玉屋~です。
これは実現できそうな気がします。
平地の竪穴だけでなく、山岳地の横穴、寒冷地の氷穴、湖沼や海では水中です。
そして地中の交通網が出来て集落都市が栄えます。
蟻の巣に習ったような人間の巣が出来ます。
モグラのような生活は嫌だな~と敬遠しますか、
でもマルタ島にジェットを飛ばすと人間の余命は短くなるのですよ。
楽しいことはマルタ島ではなく巣の近くにもあるのです。
人工物を地中や水中に隠して地表を神に委ねるのです、
地上はお天道さまのエネルギーを得て自然を楽しむ場所になるのです。
「今年のりんごは美味しいね」
「絶滅しそうだった生物が増えてきたね」
と
人間が生き延びる道はアダムとイヴの向こう側にあるような気がするのです。
今日から余力を残して家に帰って掘りましょう。
あっ、注意点を一つ
努力が過ぎて余りに深く掘ると温度が上昇して住めません。
田舎の田んぼは3月から始まる。
まずは集落総員で水路掃除の「ゆでぶしん」だ。
私もだいぶん馴れましたから戦力?の一員だ。