彼女は約束の時間を1時間も過ぎてやってきた。
大阪から最短ルートを来たらしいが途中の峠越えが運悪く通行止めであったそう。
ナビに誘導されてきた結果がこうなった、大きく迂回する羽目になり雪景色を見たそうだ。
以前にもよく似た気の毒なことがあったので、事前にルートを聞いて「大丈夫だろう」と言った私にも責任はある。
ことは前日の勧誘電話から始まる。
電力使用量のアンケートに答えてあげたら明日説明に伺わせてくださいと言う。
やけに急ぐね、どこから来るの?えっ、大阪ですと~!!。
1月締め切りの駆け込み成約を狙っているの?
まあいいかどうせ暇だし。
1時間前に応接間の暖房を入れっぱなして忘れていた為、暖まりすぎた空間で彼女はセールスを始めた。
太陽光発電も粗方需要先に行き渡り次は蓄電池による停電バックアップシステムが流行っていると言う。
彼女の会社の商品も主力はそのシステムにシフトされ太陽光発電システムは無償サービスのおまけに成り下がったそうだ。
もちろんその無償サービスの価格も蓄電池システムに乗せてあるとは言わない。
去年の千葉県での災害停電が売り込みには一役買っているらしい。
「そうなの~、でもこの辺の農家はみんな発電機持ってるよ、うちも持ってるの2Kwのやつ」
「太陽光で系統連系してもせいぜい電気代ただになる程度でしょ、見てごらんあの山、此処は日の出が1時間遅いの、その代わり?日の入りも1時間早いの、日照が2時間も少ない可哀相な土地なんよ」
「このお茶どう、美味しい?、あっ、お昼食べてないんでしょ、つまんでつまんで僕は甘いもんダメだから遠慮しないで」
私はそのお茶の由来を書いた紙をプリントアウトして彼女に渡す。
3・11の後に書いたやつだ。
彼女はお茶をすすってじっくりと読んでいる。
親父の茶
梅雨にしては雨が少なくて農家の人は困っておるのですが、
人ごとなのでしょうか、余り世間では騒ぎませんね。
友人が太陽光発電を始めたので見学しつつ参院選?を肴に飲んできました。
日照少なく太陽光発電には不利な山間地ですが、そんな山間の限界集落にも“訳有って”太陽光発電が増えてきました。
彼の父親は数年前から寝たきりになっています。
父親が元気なとき作っていた茶畑が家の前にあります。
4、5アール程度と広くはない、お茶作りを生業とするには狭すぎる茶畑です。
しかし、其処に投入されてきた彼の父親のエネルギーは計り知れないものがありました。
どれほどの情熱エネルギーであったかは毎年新茶を頂いていた私は知っています。
氏の手で育てられ、摘まれ、蒸され、揉まれた心のこもった上質のお茶でした。
火力に使う木炭も裏山で採った樫や栗の木を炭焼き窯で作った備長炭にも勝るような炭でした。
全てが手づくり、自然との共生作品でありました。
急須の湯の中に開いてきた茶葉は葉脈が見えるほど損傷なく見事に元の形に戻ります。
芳醇な液体に抽出され浮き上がった茶葉に目をやると、驚くべきことを知るのです。
一葉一葉に氏が書いた銘が表われるのです・・ふふ。
ま~、それ程までに手間隙かけたお茶であったと言いたい訳です。
氏の作る手揉み茶は地域で高い評価を得ていました。
息子の彼にはその情熱が遺伝しなかったようです。
お茶作りはどうあがいても父親のように出来る自信は有りませんでした。
かといって、茶畑を無くしてしまう決断も出来ずにいました。
最近、そんな持て余していた茶畑に新風が吹いてきました。
30kw出力の太陽光発電所に変貌したのです。
業者おまかせで事は進行して既に稼働中。
登記の仕事を生業にする彼は農地転用では当局と少々揉めたそうです、
彼曰く、「太陽光発電とはお天道さまからの恵みであり電気は農作物だ、ここは畑なのだ」と主張するも、役人の頭は誤った概念に支配されたままで残念であったそうです。
資金の1300万円は借金です。
ところが10年もすると初期投資は回収され、後はお天道さまが有る限り収穫が続くそうです。
下衆の勘ぐりで金銭面から逆算していくと、1300万÷10年÷365≒3600円/日、
売価40円/kwhとして90kwh/日、フル出力30kwなら3時間/日で、平均出力なら3.75kw(出力率12.5%)てところ。
5アール(500㎡)として、30kw÷500=フル出力時60w/㎡、常用平均出力は
7.5w/㎡。
専門家は地域の日照率統計や地形的要素、装置の効率、売電価格変動予想、契約相手の浪費癖など正確に計るのだが、”おおよそそんなもんだろう”の予感はする。
運転に係るランニング経費は?と良く有る心配事を聞くと「何も無い」そうです、はは、まったく無い。
業者は設置需要に対応するだけで精一杯、その先の悪業までは目が向かないようです。
住宅用の方も既にずっと前から運用中とのことで、私は浦島太郎状態を自覚する。
パネルは日本製が高性能で高価、外国製品は性能が少し劣るが廉価、彼のパネルは台湾製。
パワーコンディショナーと呼ばれる変換装置は日本製、10年での交換を推奨されたが、もちろん不要でそのつもりはない。
日照りの日にはパネルに水やりをすると洗浄冷却効果で発電量は上がるそうです。
夜は家のコンセントから安価な電気を引き、投光器で照らしてやると高価な売電に化けて戻っていくという電照菊栽培の擬似種。
電力会社との契約に基づき手間いらずに生産は続いています。
彼はときどき口座のチェックをするだけで良いそうです。
小遣いが減っているときは検針人に自家野菜を渡すだけで回復?します。
彼は儲けるのが目的ではなく、茶畑の扱いに困って業者の話に乗ったのが真相です。
回復する見込みが無い彼の父親が生きがいであった茶畑を見ることが出来るようにと、
寝室から見える二畝だけは茶株が残してありました。
将来父親の遺伝子が自分の中で発芽した場合に備え、発電パネルの下には元の土壌も残して有るそうです。
さて
情熱エネルギーと太陽光エネルギーの比較をしてみましょう。
経済で計ると太陽光エネルギーの価値が高そうに錯覚します。
過去から「グリーン電力制度」なるものもありましたね。
「私は高価でも自然エネルギーの電気を買う契約をするわ」
そんな人も居ました、国も電力会社も後ろを向いていた頃から。
しかし、
日本で自然エネルギーの株が上昇したのは最近です。
消費者が買う単価より電力生産者が売る単価を高く設定するエネルギー誘導施策。
ドイツのように早くからやっていれば1Fの悲劇も無かったのかも知れません。
限界集落で“茶畑の脅迫”に怯えていた人は大勢いたのですよ。
でもやっと地産地消のおいしい太陽光エネルギーが採れるようになって素晴らしいことです。
さてさて、彼の父親の情熱エネルギーを計ってみましょう。
お茶・・だけでも無かったのですが晩年は殆どお茶にのめり込んでいたようです。
昼も夜も茶畑に同化していました。
成人男子の消費カロリー≒3000kcal/日の全量が茶畑に投入されたと仮定します。
次表に代入、
http://variousdiary.blogspot.jp/2013/02/kwkcalh.html
3000kcal/日≒3.5kwh
太陽光発電の90kwh/日との比較は情熱26人分です。
・・いやはや、
もしも情熱茶畑と太陽光発電所が同等価値とすれば、彼の父親は26人分もの仕事をしていた訳です。
えっ、おかしいって、そう?
価値はお金ではないと思いますね、おいしいお茶こそが価値というモンでしょう。
適温で抽出された山吹色に輝くほんのり甘いお茶を口に含むと、
体中から有害なものや邪念が消えていくような気分になります。
お茶に健康維持作用があると確信して近頃良く飲んでいます。
適度な甘みと渋みはとっても体の為になるような実感なのです。
日本人の私達にとってお茶は無くてはならないものなのですね。
農家では、
田んぼを持て余して果樹園にして、
果樹園の博打性に懲り、
幸い首は吊らず最後は茶畑に、
そんな変遷の結果、
周りを潤し続けて自身は細る。
でもまだお茶が一番ましだよと、“日本人”に賭けたいのが現実なのです。
我が家では、
日課の猫の遊び相手をした後に、
気まぐれで出てくる茶色い熱湯、
100℃を優に超えている危ない液体、
香りも味も完全霧散したお茶のようなものを、
傍であくびをしている猫の口にそそぎ入れてやりたいと思う毎日です。
少しお湿りがあったようです。
節々が痛む辛い季節ですかな?
ぢゃっ(茶“っ)
読み終わって彼女、「電気に詳しいんですね」
私、「そう、詳しいの、電気屋さんだったから、ついでに原発も好きなの」
芦浜
芦浜が経験してきたことを、私達はもう一度学習しておくべきです。
60年代、国はエネルギー展望を原子力発電にかけました。
芦浜は真っ先に原発計画地になります。
高度成長のただ中、電力需要はうなぎ登り、貧資源国の選択肢は狭かったのです。
スリーマイルやチェルノブイリの教訓はずっと後の事です。
芦浜周辺の人々は原発立地の誘惑と放射能への不安という両津波に襲われます。
漁業への影響を心配する漁業者と、そうでない人々との対立を基本軸に町は反対派と賛成派に割れます。
反対派漁民は政府の視察団を海上ボイコットし、多くの逮捕者を出しました。
難航する立地交渉は金まみれ力ずくの立地工作へと変貌していき、
電力会社からの工作資金は人々の心を拐かし、永い間に渡って地域社会を蹂躙し続けます。
芦浜を抱える二つの町と七つの漁協は人間の弱さと強さを世間にさらすことになりました。
海と町を守ろうとの強固な意志を持っていた反対派にも心が折れだす人が多く現れ、
選挙の度に両勢力が入れ替わり、家族同士でも立場で分裂してしまう辛い日々が続いたのです。
難航する芦浜の代わりに最も危険と思える浜岡原発が先に出来てしまいます。
やがて原子力が魅力を失った時代を迎えても国は原発推進の方針を変えず、
芦浜住民と電力会社は望まぬ国策に翻弄され続けていきました。
時が流れ世代も代わり、
時の知事が計画を白紙に戻して以後は平穏を取り戻していた芦浜でしたが、
近年の温暖化ガス抑制を口実にした原発依存の風潮には心配を募らせていたときでした。
事故は起こりました。
今、芦浜の人々は福島の人々に自分を重ねています。
福島を忘れそうな多くの日本人には分からない共通の想いを持っています。
辺鄙な沿岸地であり津波に泣いてきた歴史も、原発に誘惑され蹂躙された事実も共通なのです。
違ったのは原発が出来なかったことです。
体を張って自分達を守ってくれた父ちゃん母ちゃんのおかげで、
福島と違う道を歩めていることを知っているのです。
芦浜が有る三重県旧南島町と旧紀勢町の人々は、
先人達を敬い、綺麗な海や山が有ることに今感謝をしています。
そして、
”原発を止めた町”として世間に知られるようになった現在、
一人ひとりは弱き人間であるのは今も変わりはありませんが、
自分達の孫子に取り返しのつかない禍根を残さぬようにとの共通意識で、
又ぞろ押し寄せてきそうな芦浜原発という国策津波を、楽しみに待ち構えるのです。
以上は私が思っていたことです。
先日田舎の友人と飲む機会があり、その居酒屋の主人が偶然旧紀勢町の人でした。
長島事件は祖父の代の出来事であろう若き青年です。
「もし万一、原発計画が再燃したら町の人はどうしますかな?」
「う~ん・・・、もろ手を挙げて賛成する人多しのように感じますね」
いつの世も弱き人は多数を占めているのですが、
若いご主人よ、認識外れなのは貴方なのか。
私なのか・・・。
彼女、「あの~、先の”おやじの茶”のお友達紹介してくれません?遠くまで来て手ぶらじゃ帰りにくいので」
私、「いいよ、此処だよほら」
彼女、「本当、二畝残ってますね」
私、「それともっと貴女の為になることを教えてあげましょう」
「帰ったらユーチューブ見てごらん」
https://www.youtube.com/watch?v=R_DEchSQWzc
苗字は私と一緒、昔この近所に住んでいたの、三八と書いて”サンパチ”と読むんよ。
三八さんはMさんと双璧をなす私のスーパーヒーローなのだ。
Mさんは損得無しで自分の満足感を得る為がむしゃらに働くヒーロー。
サンパチさんは少し要領の良い一石二鳥派のヒーロー。
私はねじれた大根を作るエセ芸術家。
