今日は良い天気ですが朝は冷え込みました。

気温は0度です、裏の水ガメには氷が張っていました。

いよいよ今年も残りわずかになりました。

ご近所さんの玄関には立派な門松が飾られています、みんな手作りです。

私は喪中につき正月飾りは控えておくべきかとSさんに聞いたところ、

「しめ飾りはいいんじゃないの、門松はやめといた方が良いね」と言われました。

元々門松は飾るつもりは無い(作る器量もない)ので、しめ飾りだけ買ってきて付け替えておきました。

この地方ではしめ飾りを一年中飾っておく風習がありますが、それにはこんな由来が有ります。

昔々、伊勢の地に巨旦将来(こたんしょうらい)、蘇民将来(そみんしょうらい)という兄弟がおりました。

ある時、
素戔嗚尊(すさのおのみこと)が旅の途中に立ち寄られましたが、夜おそくなったので、

裕福な長者の兄、巨旦の家を訪れ一夜の宿を請われました。
しかし巨旦は雨風にうたれた尊のみすぼらしい姿を一見して、すげなく断ってしまいます。

しかし、貧しく暮らす弟の蘇民は、困り果てた尊を見て「粗末な家ですが、どうぞお泊まり下さい」と、

温かくお迎えしました。

感激された尊は、翌日帰られる際、
蘇民に「この札を家の軒先に掲げておくと災難を免れる」と、
「蘇民将来子孫家門」と書いた門符を渡されました。

まもなくこの地に疫病が大流行しましたが、
この門符を門口に掲げていた蘇民の家族だけが助かり、その後も蘇民の子孫代々は隆々と栄えました。

この故事にならい、現在も伊勢地方では災難除けとしてしめ縄を玄関に一年中掲げているのです。

もうひとつ、

私の田舎には神棚に樒(シキミ)を飾る家がありますが、それにはこんな訳があります。

働き者の先祖が暮も押し迫る大晦日まで働いていました。

神棚の榊(サカキ)を採りに山に行くと暗くて周りが良く見えません。

間違って樒を採ってきてしまいましたがそのまま神棚に飾りました。

働き者故の先祖の間違いですが、子孫もまた働き者であれよとそのまま受け継いでいるそうです。

田舎では遊休農地に樒を植えて花業者に買い採らせていましたが、

それが成長し過ぎて花業者も敬遠するようなジャングル状態になっていました。

そこで春から樒山の剪定伐採をやっていたのですが、やっと先日すべてが終わりました。

気分が滅入っているとき樒山に入り鉈(なた)を振り回して気分転換していたのですがもうできません。

来年は又、他の気分転換方法を見つけなければなりません。

年末年始には父母を一時帰宅させる予定ですが・・どうなりますことやら。