40年以上離れていた田舎での単身生活です。

私は高校を卒業するまでを此処で暮らしていたのです。

過去を思い出してみると、田舎は変わったような変わらないような。

風景は大きくは変わらずですが村人は皆世代交代しています。

自分も変わったような変わらなかったような。

子供の頃と現在老域の自分とでは替わったところも少々あるのでしょうが、

性格は替わり様が無かったようで、内向性で心配性の、正義感だけある夢想家だと思っています。

田舎を離れていてもいつも気掛かりであった両親は施設入所となりました。

妻が亡くなったことで私は両親の世話に専念できるように成ったのですがそろそろ限界でした。

先日、区の清掃作業(集会所と墓場)に行ったとき、集まった人が何処の誰であるのか分からなかったのです。

区の中には3つの組が有って、私の組の10人だけは分かるけれど他の組の人が分からない。

8月7日の妻の初盆には区の人達がお参りに来てくれるのが当地の習わしですが、誰が誰だか分からないとは困ったもんです。ハハ。

私が知っているのは子供の頃一緒に遊んだ歳が近い人やその親御さんだけで、その親は亡くなったり施設に入ったりでもうほとんどは居なくなりました。

私より一回りくらい離れた人になると私には過去に接点が無いので知らない訳です。

お隣のAさんのように村中の人に精通したような人とは違い地域社会の基本情報が欠けているものですから何となく不安で肩身もせまいのです。

私の家の傍に本家があって現在空き家となっているのですが、近郊の市に住む当主のTさんは私と同年生まれで良く一緒に遊んだものです。

そのTさんは田舎の集落の行事が有ると必ず参加してきたそうです。

「40年間に渡っていつも自分は一番歳下だったんだよ」と、年齢構成に偏りがある過疎の村の現象を嘆きます。

Tさんは日曜ごとに田舎に来ては実家の維持作業をやっていますからとても大変だと思います。

私は40年間放ったらかしていましたからその苦労を知りません。

今やっと、父母の居なくなった家を見回してはその苦労を想像出来るのです。

皆高齢化してしまい集落の存続が危うくなってきました。

一番若い?私は希望の星なんだとAさんは言います。

それは本当のことなのですから私は困ってしまうのです。

一人になると今でも妻のことが思い出されてなりません。

子供たちが幼なかった頃の楽しかった家族の情景が浮かんでくるのです。

隣組の同級の女性が3年前にご主人を亡くしており、「1年くらいは思い出してしまいますよ」と励ましてくれました。

私が希望の星に成れるか失望の人になるのかは私次第なのですが成るように成ることでしょう。

仏壇のシキミと神棚のサカキを採りに行かなければならないが、昨日の草刈りで希望の星に成ろうと頑張りすぎて節々が痛むから明日にしようかな。