現在進行形

 認知症の母の行動で一つ困っていることがある。

それはゴミを焼くことである。

昔の田舎ではどこの家でもゴミは燃やしていたが今は分別してゴミ出しをする。

母は昔の風習が頭に焼きついてしまっているのだ。

火事が怖いので止めさせたいが止めさせる方法が思いつかない。

風がなく雨になりそうな日が母の行動日なので気をつけて監視している。

無理やり制止するのも可哀想で私も手伝って早く燃やし切ってしまうようにしている。

ときに生乾きの草や木の枝や土が混じると燻って白煙がもうもうと立つのでご近所に申し訳ない。

町のゴミ出しルールも厳格で名前を書いて出したゴミ袋が残されていることが良くある。

収集車は袋の中身を確認して収集物と違うものが混じっていると置いていく。

母は何度もそれを経験して無駄足を踏んでいる。

そんなことも母がゴミを焼く一因なのかもしれない。

高齢者の多い田舎では厳格なゴミ出しルールが余計に生活をし辛いものにしている。

私も一度台風で飛んだ大量の割れガラスを危険だから土のう袋に入れ「割れガラス危険」と書いて出した。

それが「袋が違います」と書かれ残されていた。

薄いビニール袋では危ないからわざわざ土のう袋にしたのに、融通が効かないな~。

この夏からは新たにプラスチックごみを分別することになっている。

可燃ゴミの固形燃料(RDF)化処理をやめて焼却処分に切り替える上での都合らしいが、

プラスチックだけ分けて綺麗に洗って出せという面倒くさいことになっている。

私はどうせ燃やしてしまうんだろう」と思ってしまう。

トレイに付着した有機物も燃えるでしょう。

「油が付着しているので収集できません」なんてことが起こりそうだ。

母に限らずどの家からも白煙が上がることになりそうだなこれは。

都会でも田舎でもゴミを燃やす行為は法に触れることであるが、

ややこしいゴミ処理方法はいただけないし、

何より私は「何故燃料にしない」と言いたい。

廃棄物処理は金のかかることですよ、

少々余分にかかってもエネルギーは絞り取るという姿勢が大事だと思うけどね。

人類は核エネルギーを諦めた?(えっ、未だ諦めていない)訳ですから、

身近なエネルギーは無駄なく利用することにもっと熱心であって欲しいね。

そんなことを思いながら母のたき火の傍で暖を取る私は母の共同犯になるのか。

野焼きは犯罪だけどね、暖炉や風呂釜などでゴミ燃やしても良いからね念のため。