次なるドキュメント

 2017年1月

年明け早々にケアマネ氏を含めて家族会議が行われた。

私は今の状況が続くことに耐えられずアルコールに逃げ心身を侵されていた。

妻が可愛がっている3匹の猫さえも私を手間取らせ苦しめるもののように思えていた。

半年の間に妻の介護どころか自分自身のコントロールさえ失ってしまっていた。

私の様子がただならぬ状態にあることが分かり家族によって精神科の受診が決定された。

仕事が忙しいであろう息子たちが初診の場に付き添ってくれたとき、私はいったいどこで足を踏み違えてしまったのだろうかと情けなかった。

私の抱えている問題はカウンセリングや薬で直るはずもなく、通院するには余計に私の介護スケジュールを束縛することが予想された。

精神科医は妻の病気のことを親身に捉えてくれ(妻はこの医師との接点が有った)、私の考え方もお見通しであったようだ。

現在もこの医師とは関係?している。

ケアマネ氏は私に気持ちを切り替える為に趣味を与えようと、自分も長く実践している気功術のレッスン教室を勧めてくれた。

近所での教室はヘルパーさんの夜間介助に助けられて半年続いたが、田舎に回ることが多くなって途絶えてしまった。

気功術は精神を落ち着かせ適度な運動にもなり(特に平衡感覚を得ることに長ける)続けると良いのだが半年ばかりではさわった程であった、皆長く続けて(20年・30年)おられる方ばかりであった。

 妻の介護上でどうしても不都合なことはマンション居室への訪問者の入室方法であった。

妻はこの頃既に寝たきりに近い状態となっており、訪問者への対応(インタホンの応答や玄関でカギを開けること)が出来なかった。

マンション入り口はカードキーを渡してあって自由に入ってこれたが、部屋のカギまで大勢の訪問者に渡せなかった。

部屋のカギを開けたまま外出する度胸は私に無かったので、結局訪問者が有るときに私は必ず自宅に居る必要があった。

その訪問者がかなりの密度で訪れる訳なので、私としては自由度が極端に減少してしまった。

 この月に妻は通院から往診への切り替えを行っている。

在宅医療が専門のクリニックで難病患者には2回/月の往診が契約上必要とのことで更に訪問者は増えた。

私は籠の中の鳥であった。

妻は不安定な精神にある私の介護を避けてショートステイに避難していく、一週間から10日、10日から2週間、2週間から20日と徐々に増えて行った。