現在進行形
私には絶対起り得ないとことだと思っていたことを経験した。
車の運転においての誤操作だ。
アクセルとブレーキの踏み間違い、ちょっと違うが両踏み。
近頃良く高齢ドライバーがショーウィンドーに突っ込んだ等のニュースを聞いたり実際に目撃していたけれど、
それは人ごとだと思っていてまさか自分にもその才能?が有るとは今日まで気づかなかった。
今日、田舎に向かって走った高速道路の出口料金所でのこと。
私の車はETCが付いて無いので料金所で止まらなければならない。
手前でギヤーをニュートラルにして惰性で料金所に滑り込みブレーキを踏んだが、「何かうるさい音」が聞こえる。
エンジンが吠えていたのだ、車は止まったがエンジンが空ぶかしの状態。
右足がブレーキと共にアクセルも一緒に踏んでいたのだ。
自分のミスに気づくまで少々の時間(歳相応の)があったのが事実で料金所の人も怪訝な顔であった。
「ああ、このようなときに暴走してしまうのだな」と思った。
マニュアル車なので空ぶかし状態でギヤは入らない、オートマチック車なら、もしもシフトレバーを押して(引いて)しまったら飛び出すだろう。
ブレーキペタルとアクセルペタルは同時に踏めるような近い位置にあるから同時踏みを防ぐのは運転者の『確実な操作』しかない。
その『確実な操作』を行う意識が希薄化していたのだと実感した。
目や耳からの情報伝達や脳の判断・指令の遅さや足裏からのフィードバックに性能劣化(反射神経というのか)が起きているのも事実だが実感したのは意識面だ。
以前から若い人が運転する車に乗ると車間距離が自分の尺度に照らして短くて怖かった。
若者は十分安全を担保した上でのことだから、私が怖いと感じる車間距離であっても、急ブレーキを踏まれても止める自信がある訳だ。
皆自分の能力を知って運転をしているのだから一般交通での安全率は老若等しいはずである。
私も若いころは運転中サンドイッチをつまみドリンクを飲み携帯で話し地図を見ながらタバコまで吸っていた。
運転に回す意識はほんの数パーセントだ。
ちょっと横道、
先輩のOさんはおにぎりを頬張りドリンクを飲みながら助手席の私とバカ話をし「くわえたばこ」で運転していた。
Oさんが笑いながらパ行の発音をした瞬間、火のついたタバコは口から離れ開襟シャツの襟元から服の内側に落ちていった。
Oさんは服の上から胸や腹をを叩きまくって火をもみ消した、その間「アチチ」、「アチチ」と何回か叫んだが車の運転に何も支障は及ぼさなかった。Oさんの意識は99パーセントが火のついたタバコの行方に向けられ運転に回した分は微小だ。
車の運転は一種片手間で出来てしまうのは事実である。
『確実な操作』など行わなくてもおおよそ目的地まで無難に着いてしまう。
車とはそのような物だと慣れ切ってしまった頃に予想外のこととして操作ミス事故が起こる。
高齢ドライバーに操作ミスが多いのは慣れの蓄積が主であって判断力や運動神経の衰えが主役ではない。
更に横道
AIによる交通システム制御が行われる未来の一瞬を題材にした素人小説。
交差点での衝突事故が決まっている場面。
ドライバーの操作ではもう事故は避けられない時点、衝突2・3秒前から始まる。
AIは双方車両の乗員全員死亡を予測する。
衝突1秒前、AIによる双方の代理人同士が裁判を行う。
被害を軽減するため片方の車両を爆破し片方を救う裁判が義務付けられている。
信号無視をした側の車両の運転手についての弁護。
被害者側運転手の隠された犯罪歴の暴露。
どちらが生き残る価値を有するか。
AIにとっての利害関係者の同乗で裁判は揺れる。
衝突0.1秒前、裁判の結果によって片方の車両は爆破され片方は交差点を無事通過する。
も少し横道、
繁華街、昼飯食ってまったりしてたらポケベルがピーピー(時代だね)。
「●●ビルで車落ちたのでチョット見てやってくれる~」。
オートマ車普及しだした頃は多かったのな、操作に慣れてないから。
カーリフトのドア破ってピットに方輪落としたりするの。
爪楊枝くわえてシーハー、シーハーしながら現場に近づくと黒山の人だかり。
ふっと、上を見上げるとビル7階の壁にポッカリと穴。
「ゲゲ、あそこから落ちなさったの?」
高圧電線で一度バウンドして献血車が止まってる横の歩道にドッスン。
通行人に被害者が出なかったのが奇跡。
新車のオートマチックセダンは前後の区別が付かないほど大破。
運転手さんは横に献血車がいても助からなかった。
屋上PKで次に降りようと後ろで待っていた人の証言。
「前の車がカーリフトで降りて(実際は落ちて)次にドアが開いたら壁の穴から青空が見えた」。
そう、良い天気だった。