夏は北海道でトウキビ収穫の手伝いをし、
冬は沖縄でサトウキビの収穫をします。
秋と春、日本の北と南をオートバイでゆっくり渡ります。
”渡りのきびちゃん”はこんな生活をもう何十年も続けています。
自分ひとりの生活はこれで十分成り立ってきました。
定住家庭生活をしている私たちからみると、
独り身で渡りの生活は自由に思えます。
そんなきびちゃんですが最近思い悩んでおります。
アメリカやオーストラリアの農地規模は日本の100倍とも千倍ともいいます。
世界を股にかけて仕事は有るのですが、
きびちゃんには北半球と南半球を渡る情熱は沸いてこないのです。
母が僅かな土地で野菜を作っております。
老夫婦二人分とご近所へおすそ分けするだけの少量ですが、
生き物、植物を育てる手間ひまは少量でも大量でも一緒です。
土を耕し種を蒔き水や肥料を与え日当り調整や草取りをして、
炎天下の日も極寒の日も畑に出ては土と向かい合っているのです。
やっと収穫した野菜の出来に一喜一憂をします。
かかった労力と収穫物を秤にかけると、よくもそれほど情熱をかけれるものだと、
戦後教育を受けた者には理解できない価値観なのです。
環太平洋連携協定tpp
農業で生計を立てている人々にとっては、
今までの価値観を捨てることが強制されます、
土に同化したような母の姿に皆がなれないことは明白なのに。
きびちゃんにもきびしい現実がつきつけられているのです。