犬と散歩のm氏です。
自然考察が得意な人です。
教えを乞うと何でも教えてくれる良人なのです。が、
乞われなくても人に教えたいという、おせっかい性でもあるのです。
家の前の海岸は潮干狩りの名所であります。
都会から多くの人が潮干狩りにやって来る、氏の家の庭みたいなものです。
貝は豊富に捕れるのですが、自然事に疎い人は何でも持って帰ろうとする。
その獲物のバケツを覗いて。
「あんた、ようけ(沢山)捕ったな~」
はい!
「それ、持って帰るんか?」
・・?、はい!
「持って帰ってどうするんや?」
・・?、食べるつもりですが・・
「それ、食べれへんよ」
・・美味そうに見えるけど・・
「食べれへんのやって、煮ても焼いても」
・・本当ですか?
「本当やって、わしは毎日この海岸を散歩しとるんやで」
・・残念だな~
「そやけど食べれへんもん、逃がしてやんな」

そうやって氏は真実を語って、地球を守ってきたのです。

 氏も昔、チヌ(黒鯛)に魅せられた人なのです。
自宅の水槽にチヌの子供を飼っていたことがある、
飼育が難しい魚であるのは承知の上で、せっせと世話をしていた。
毎日海岸から海水を汲んできて、水槽の水を変えてやる、
それはそれは涙ぐましい努力で飼っていたのです。
「ほれっ。見てみ、生のオキアミや、これしか喰わんのや、他の餌には見向きせん」
そう言ってオキアミを一匹水面に落とす、
沈んでゆくオキアミの傍をゆら~っとチヌが泳ぎ去る、
チヌの目はオキアミを見失っていないことが見て取れる、
餌が自然に着底する瞬間、チヌは一瞬で翻ってパクッと喰った。

その一瞬の銀鱗の輝きに私も魅せられてしまいました。

 氏と釣行するとおおらかな気分になるのです。
齷齪(あくせく)とした日常がばかばかしくなってしまう。
渡し船で磯場に渡して貰うと、釣れるポイントが何か所か有ります。
氏は何処が一番良く釣れるポイントであるか知っているのですが、
他人が混ざってきた場合は一番良いポイントを教えて譲ってあげるのです。
「そこで釣りなさい、この前も大きいのが釣れとったでな」
暫くして上手な氏が獲物を釣り上げるのを見た他人様は、
厚かましくも氏のポイント近くに寄ってくる。
「こっちがええんか?場所を変わったろか?」
こうして、図らずも一番良いポイントに移った氏は、沢山の獲物を釣り上げる。
すると、悲しき都会の齷齪さんは、元の一番ポイント返り咲きをねだってくる。
「ええよ、又変わったるわ」
氏はビール片手に私の方へ遊びに来て、
「あそこではもう釣れへんのに。わしが教えた通りにしとったら釣れたのにな~」
そう言って笑うのです。
先達の教えには迷わずに従うべきなのですが、そんな簡単な経験則さえ無い人が多い。
教えられるままに私も随分、氏に連れられて釣行を重ねたのですが、
一向にアーム(腕)の差は縮まらず終いでした、年の差は詰まらないのだと悟りました。
私と一緒の時はアルコールで手元が狂い過ぎて困るとも言う。

氏も今は仕事から引退して地球を守る活動に専念されている。