あのね、おかあさんね、、(3) | 両足が無くても生きていく私の本音ぶちまけ記

両足が無くても生きていく私の本音ぶちまけ記

透析の傍ら両足を無くした元ぐーたら主婦です。
少しだけ心改め精一杯生きる日々の生活や心の動き、支えてくれる夫の話、息子の話、愛犬の話など綴ります。

別れよう、そう決めたとき

私の心はとてもラクになれて清々しい気持ちでした。

私さえ今踏ん張ればこの先家族が一つになれるはず、

そう思っていたのに夫との未来が見えてきませんでしたから。

 

息子は私が絶対に連れて行く。

駄目だと言われても必ずと決めていた。

 

その後、息子を連れて実家に戻りました。

転校の手続きもしていない、、まだその時は別居という形。

実家から車で1時間かけて毎日送迎しました。

半年ほど続けましたが、宙ぶらりんな状態では

私も新しく仕事を探さないといけない、

小学校も転校させないといけない、

息子が小学校1年の3学期から転校させるため、

話し合いをして離婚しました。

離婚して荷物を家に運び込んだ後、

分かれた夫から電話がありました。

泣いている、、今更なによ。

ごめん、俺が悪かった、本当にごめんと。。

荷物が無くなった大きな家は

がらんとした状態で、

心にぽっかりと穴が開いたようになってしまったそうです。

私から言わせればもっと早く気が付いてほしかったし、

今さらもう私も戻れない。

もういいから・・って言うしか言葉が出ませんでした。

 

新しい息子と二人の生活は

実家の持ち家の古い田舎の一軒家に住むことになりました。

家と実家とは方向が違うけど、同じ学区内、

朝は家を出て帰りは私の実家に息子を帰らせました。

私はというと、トラックで配達のお仕事、

大型スーパーから小売店まで広い範囲で商品を卸し

注文を取ってくるドライバー兼営業職。

土日が休めなく夜も残業だったり、、

でも実家で息子は面倒を見てもらい、

どちらが母なのか、ばーちゃんなのか

解らなくなるほど実家の子になっていました。

時々別れた夫の家に連れて行って

あちらの友達もいますから、あちらで一泊してたりありました。

そのうち、私の実家はド田舎なので

昔からの家ばかり・・

息子が石を投げられケガをして帰ってきました。

朝一緒に登校する中の一人なのですが、

うちの子が悪いことになっていましたが、

転校生ということでいじめにあうようになっていたとのこと。

だんだん独り言が多くなり目チックが始まり

夢で怖い夢を見たのかうなされていたり・・

 

私の身勝手で一緒に連れてきたものの

私はなかなか守ってあげられず、

働いて生活に困らないようしてあげることだけで

ここまで何もできずこんな形で辛い思いをさせてしまいました。

 

私も身体を壊しつつあって仕事していても具合が悪く

入退院を繰り返すようになりました。

その時は実家にお願いしていました。

けれど学校の問題があります。

私も養っていけるような収入も稼げません。

友達とうまくいかない、いじめがある、私が働けない、

このままだと将来進学もさせてあげられない。

 

悩みに悩んで息子の幸せ考えて

私は前夫の家に一人出掛けました。

前夫はいませんでしたが、義父母に土下座をしました。

息子をお願いします。と・・・

義父母は願ったりかなったりです。

私と暮らすよりも裕福で進学も普通にできて

きっと幸せになってくれる・・

もう少し大きくなって自分の選択肢が出来たとき

いつでも帰ってきていいから・・

そんな思いで息子を手放してしまいました。

 

続きます

 

ろった