この間のカウンセリングで、

リプログしたブログに書いたことを

話した時に返ってくる言葉が

一々、気持ち良くて心がスッとして

楽しかった。


そして、

何回、思い出しても良い気分になるから、

愛着がない話しが易々とできることが

自分にとって如何に大事なことか?

よくわかった。



たまたま『いいね』ボタンを押して

下さっていたので、

ブログを読んでみた。


パン田さんの書くブログって

前の私だったら、

全く一文たりとも理解できない、

日本語だけど、

古代文字の予言書か何か?

にしか見えなかったと思うけど、


いいねを、下さった方は

どんな方かと読んでみたら、

なぜか書いてあることが凄くわかって、

一つ記事を読むと

思いが言葉になって

溢れ出てちょっとスッキリするので、

ハマって読んだんだけど、


僕🐼が本当に欲しいモノは、
何なのか?

赤ちゃんの僕🐼というか、
命そのものの僕🐼と、
一緒に居たい。
そう思ってくれる他人。

この言葉が印象に残ってて、
葛藤してた時に、
仕切りと頭の中に
この言葉が浮かんで、
暫くしてから、

赤ちゃんの私というか、
命そのものの私を
もう許して抱いてあげたい
一緒に居たい
って言葉が出てきた。

その時に
あー、語尾が違うのは、
私が異邦人で、
ぱん田さんは成人期だからだ。

ってスッと思ったんだよね。
ってCOに話した。

赤ちゃんの僕🐼と
一緒に居たい。
そう思ってくれる他人が
欲しいっていうのは、
要するに愛着ですよね。
愛着を知っている人の言い分だよね。
愛着を知らない人からしたら、
なんのことを言っているか?
わからないし、
自分の赤ちゃん性なんかは
もう無かったことになっているし、
そんなものあっちゃいけないわけだからさ、
赤ちゃんなんか危険じゃない丸腰だから。
って言われて、
この言葉がめちゃくちゃ気持ち良かったの。
思い出しても心がスッとする。
息が吸える。

そう思う度に、 
この世には
愛着がある人の方が圧倒的に多いから、
通じない思いの息苦しさが
いかほどだったかを思ってた。

愛着を知っている人からしたら、
COの水色の言葉が何を言っているか?
さっぱりわからない言葉なんだろうな
と思うけど、

この世には愛着して育った人の方が
圧倒的に多いから、 
私の言う語尾が違う意味や
理由が大概の人はわからないだろうから、

COのような言葉を言う人には
そうそう出会えない。

聞きたくても簡単には聞けぬ言葉だもの、
言われたら気持ちいいよね〜。

特に気持ちが良かったのは
赤ちゃんなんか危険じゃない丸腰だから。
って言葉。

虐待など知らず普通に育った人は
きっと
赤ちゃんが丸腰で危険だと
人生で一回でも思ったことすらないと思う。
わからないけど…。

片や私は1秒足りとも、
その危険さが
心から離れることなく生きてきたと思う。

赤ちゃんなんか危険じゃない丸腰だから。
って言葉を聞いたときに、

娘がまだ赤ちゃんだった頃、
赤ちゃんの娘をみて思い出したのか?
(私の)母親が
『私も姉も母乳を辞める時に
全く泣かなかった。』
って言ったとき、
面倒になるから口に出して言わなかったけど、
そりゃぁ。そうだろう。
赤ちゃんだったけど、
私も姉も賢かったと思った。

記憶は全く無いんだけど、
母が赤ちゃんなんて見もせずに
無表情に
すっとこどっこいの遠い方を
呆然と見て、
母乳をあげている様子は
手に取るように想像できたから。

泣いて惜しむ要素は皆無。
母乳を吸わねばならぬ苦行から
やっと解放されたとしか
思わなかっただろうなと
思ってたことを思い出だした。

トラウマ治療を始めた頃、
身体の調整をした時、
終わったあと、吐いた。

その時にトラウマの先生に
寝返りを打ったとか、
ハイハイしたとか、
立った、歩いたって喜ぶ親元で
育てばいいけど、

そうでなかったら、
赤ちゃんが自分で動くようになったら、
それは第一次死期だから
ここで吐く人は多いと言われた。

第一次死期って言葉が
暫く心に刺さって抜けなかった。

去年、
高橋先生の勉強会で、
軽度知的について学んだ。

それより前にCOには、
私の母親はおそらくIQ60前後だろう
とは言われていたけど、
私の母は明らかにおかしい人だったから
そうだろうと思う私と、
流石にそこまでは大袈裟では?
と思う私がずっといたけど、

IQ60の方の逐語録を聞いたら、
ぐうも音も出ないほど
母にそっくりで…
嫌が応にも
私の母はIQ60前後だとわかった。

その後の話が耳に入らなかったから
かなりの衝撃だったと思う。

その時学んだ
IQ60の母親の場合、
子どもが
乳幼児揺さぶられ症候群(SBS)
になることもあることが脳裏に残った。

私が赤ちゃんのときに
なる確率があったことが
ハッキリしたわけだから、
これも凄い衝撃だったと思う。

母親はそこまでおかしかったのか‼︎
まさか‼︎
と思う思いを追い払って
現実を精査して
飲み込むのに何記事も書いた。

なんか凄く気持ち悪くて
えぐい作業だったと思うけど、
すっかり忘れていて、
もう随分長い間、
母親のことを思い出しもしていなかったな
と書いていて気づいた。

あれほど、
母が恐怖で、恐怖でならなかったことを
思うとちょっと不思議な気もするけど、
恐怖の原因、
母が赤ちゃんの世話すらできないほど、
何もわからなぬ人だったことが
理解できたら、
恐怖以外に何一つ繋がりがなかったから
当然なんだなとも思う。

赤ちゃんでいるって、
生命の危機でしか無いのは 

そうじゃない世界があるなんて
一片も見えないくらい
私にとって当たり前過ぎたし、

それが自分が悪いからって、
自分を責めていたから
よくわかっていなかったけど、

赤ちゃんなんか危険じゃない丸腰だから。
ってCOの言葉の気持ち良さの持続で
本当に
その思いは、
私にとって魂に染み付くほどのものなんだな
とやっと気づいた。

赤ちゃんである危険さもだし、
愛着がない中生きてきた辛さも、

赤ちゃんでいると危険な世界と
赤ちゃんでいても安全な世界。

愛着がない世界と愛着がある世界
割とフラットに両方見えてきたから、
今やっと
COの言葉が気持ち良く響くんだと思う。

人って自分から余りにも遠いものは、
遠過ぎて見えないし、
逆にあまりにも近くても
近過ぎて見えないんだとつくづく思う。

クローバークローバークローバークローバークローバー

パンダさんのブログの話をCOにしたのは
私とパン田さんの語尾が違うのは、
私が異邦人で愛着がない育ちで、
ぱん田さんは成人期で
愛着がある育ち(多分ね)
だからでしかないのだけど、

単なる違いを
自分の恥ずべき落ち度として
容赦なく攻め抜いてたのに、

最近、責めなくなってきたら、
語尾の違いを単なる違いと
スッと受け入れられたからだし、
高橋先生の見立ての勉強会の内容が
凄く良くわかるようになったからなんだけど、

高橋先生って
凄く当たり前なことを言ってたんだね。
それすらわかって無かった。
なんでだろう?
って言ったら、
それは愛着が無かったから。
って速攻で返事が返ってきて、
笑えてきた。

本当、愛着ないと、
自分で自分を疑うから
考えがグルグル回って
結果、何にもわからない。

グルグルさえ止まったら、
何がわからなかったか?
不思議に思うくらい
言われたことがスッとわかるから
反応が凄く良くなった。

色々わかるようになった違いの話が
また楽しくて気持ち良かったけど、
もうそれ『見立て』の話になるから
書いて整理は、
アメンバー記事でします。

私がアダルトチルドレンと
思えなかった理由って、
アダルトチルドレンの特徴の
ほぼ全て振り切って当てはまるというか、
特徴超えし過ぎて
自分のことをアダルトチルドレンとは
全く思えなかったからなの。

だから、
高橋先生のメソッドじゃないと
ここまで回復しなかったと思うけど、

本当言うと、
高橋先生のメソッドの
オーソドックスな異邦人の特徴からも
外れている部分があるの私。

だけど、
高橋先生のメソッドは
幅の違いの理解もあるから、
私自身が違いを理解して
埋めていくことができた。

かなり深く細かな違いを
理解していかないと
私は自分が理解していけないくらい、
虐待が酷かったから、 
それを書いて咀嚼しようと思うと
結構、踏み込んだことを
書かなきゃいけないから
そこに抵抗があったけど、
もうそんなことを
言ってる場合じゃないなと思って

暫くアメンバー記事ばっかり
書いてそうだけど、
自分の為に書いていこうと思う。

愛着の理解、
愛着の話が通じることが私にとって
一番大切なことだと思う。
それが本当よくわかった。