遠くに行きたい

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ブログを選ぶ際、ライブドアにしようかアメーバブログにしようか迷い、ライブドアにも開設はしたのだが、何だか使いづらくて結局アメーバブログに落ち着いた。今にして思えばグッドチョイスだった。


色々キャンペーンもしているのでもし当たったらこれ以上嬉しい事はないのである。皆様も応募してみては

いかがでしょう?


でも、実は沖縄で私が一番行きたいところは米軍兵が出入りする怪しいバーなのでした...




旅割でおトクなオリジナル旅を組み立てよう!
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日経MJで「食の細道」(2月10日付)というコラムを執筆している野瀬康申氏はまずそうな店を探しては片端から入ってみるのだそうだ。彼いわく、隠れた名店を探すのも骨だが「料理がまずくてサービスがひどい店を掘り出すのも相当に骨が折れる」と書いている。  


彼が入った、「久留米ラーメン」という看板を掲げた店では目の前でインスタントラーメンの袋を開けられたといい、私などその時点で「あ、インスタントにはアレルギーがあってその場でけいれんが起こりますので」または「あ、急に腹痛がして来たので」「あ、財布を忘れました」などと言いつくろってその店を後にする。彼はコラムを書いているから経費が出るのだろうが、自腹を切ってまずい物など食べたくない。


別の店では芽出た皮付きじゃがいもや腐った豆腐料理が出たそうだ。さすがに食べなかったそうだ。若者の街で行列が出来るピザ屋のピザは「裏が靴の底みたいに焦げていた」などなど、抱腹絶倒ではなく、憤激絶倒とも言うべき店は他にもたくさんあるそうだ。


私もつい最近、吉祥寺の、某行列の出来る肉屋がやっている、美味くて安いと評判のステーキ屋に行って、肉の硬さ、不味さに(やられた!)と後悔のほぞをかんだばかり。他にも「当店名物焼きおにぎり」というのが冷凍だったり、カツ丼の肉がロースやヒレ肉ではなく、ペラペラのバラ肉を重ね合わせた物で苦かったり、2度と行かない店はいくらでもある。ガイドブックなども不味い店の横行に一役買っている。美味い店など掲載店の100軒に一軒もない。


しかしながら、ひどい店にも言い分があるかもしれない。態度が悪かったり、汚く食べ残したり、手をかけ、一生懸命美味しい物を出してもわかってくれず、皆、ガイドブックに載っている不味い店に行列したりではやる気を出せと言ってもなかなか難しい。努力が報われないと人は傷付く。男性にかつてパンを焼いて食べさせたり、美味しい物を食べさせようと手をかけて作っていた私にはそれがよくわかる。


焼き立てのパンを出して「どお?」と聞いても「んー」としか言わなかったり、まっさらの揚げ油でカツを揚げても無言ではやる気がなくなるどころか一種サディスティックな悪意が芽生えるのである。次回にカツを揚げてくれと言われた時には人からもらったまま放置しておいた、体に良くないショートニング、いいや、あれで揚げちゃえ、とコレステロールたっぷりのその代用オイルで豚肉の筋も切らず、その結果丸く反り返ったカツを彼と友人一同に出した事がある。  まずい店の料理人の中には、かつて客に傷付けられたのを根に持ち、ひそかに復習していてほくそ笑んでいるのかもしれない。

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NHK総合「プロフェッショナル 仕事の流儀」という番組で挾土秀平さんという左官の仕事ぶりを見る事ができた。彼はコンテストにも優勝した優秀な職人さんだそうだ。なかなかの面構えで、こういうニューウェーブの職人さんもいるのだとある意味感動したが、どうしても引っかかるところがあった。それは、彼が手がけ
た熱海の個人宅の土壁の仕上げを失敗した事である。


彼はそこに「自分の宝物」だという、四国で見付けた紺色の土を使って夜空に桜が舞うというモチーフの壁を作り上げたのだ。こういう凝った壁を私は一度も見た事がない。が、これは職人さんの仕事というよりはアーティストの領域ではないのかと少し違和感を持った。ちなみに英語で職人はアーチザン、という。私の認識ではアーティストとアーチザンは異なったものである。どちらが上、下という事ではなく、性質が異なると

思う。


塗り終えて翌日乾き具合を見ると彼の不安は的中し、むらになっている。補修がきかないので塗りなおしである。次の現場を控えていたので他の左官職人たちはあせっている。本人もあせったに違いない。何とか2度塗り終えたが、ここで私の違和感は更に高まった。彼は自分が納得いかないものは、絶対に引き渡さないと言い、「時間がない中で、60%の出来で逃げた方が良いのか、引き渡しの期限が延びて施主が怒っても100%のことを最後までやった方が良いのか、それは後者に決まっている。恨まれても、あとで喜ばれる」と言っているが私の考えは異なる。


2度目を塗ってしばらく経つと小さなヒビが入ったそうで、その後はどうなったのか、わからないが、納得がいかなければ採算を度外視して塗り直す事がプロのプライド、プロの仕事ぶりというトーンの番組内容で、(そうだろうか)と私は考え込んでしまった。私が施主だったら、出来るかどうかわからない仕事は引き受けて欲しくないのだ。時間も必要以上に取られたくない。


プロなら、100%出来る、という自信と見込みがない限り、引き受けるべきではなかったのではないか。土壁は環境に大きな影響を受けやすいと知っているプロ中のプロが、なぜ悪い環境の場所だったにも関わらず引き受けてしまっただろうか。


やれるかどうかわからないがやってみる、という挑戦的な態度も時には必要だろうが、「出来ない」と断われる矜持もプロフェッショナルの条件ではないか、と思った。

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昨年、一昨年といいところが全くなかったが、今年は少しいいのかもしれない。


きのうも、買っておいたグリーンジャンボ、3300円当たっていた。投資額7枚で2100円なので1200円の利益。ランチ1回分にしかならないがこれだけの利息を稼ぐのは大変なのだからまあ、良しとしよう。


吉祥寺の東急デパートでワインの試飲会。ピーロートなんてワインの輸入業者は試飲会などと銘打って

飲ませてくれるのはほんのおしめり程度。それで箱買いをさせるのだからたまらない。


おだてに弱い私は数回参加してつい6、7万も浪費してしまった。営業マンも必死で、いくら断わっても毎回あれやこれや美辞麗句、お追従、おべんちゃらで誘ってきたが、さすがにある時、きっぱりと断わった。


今や、2000円以下でそこそこのワインが買えるのである。今回もスペインの赤ワインのいいのが1050円で買えた。


安くて美味しいワインはいくらでもある。


フランスでは量り売りのワインがあって、本当に安くて美味しいワインが飲めるのだそうだ。日本でもできないものでしょうか、ねえ、山梨のワイナリーのオーナーの皆様。









その昔、恵比寿に住んでいた私にとって六本木は庭のようなものだったのだが、最近は滅多に行かない。その後、六本木交差点といえばここ、というくらい有名だった誠志堂も閉店し、六本木ヒルズが出現し、

随分と様変わりした。


たまたま今日は雑用があって、ぶらぶら歩きながら昔行ったクラブやレストランをそれとなく探してみたりした。


それにしても...


六本木も「ドン・キホーテ」のせいで大分柄が悪くなった。ここには、新聞ネタにもなったジェットコースターがまだ取り壊されず、奇怪なオブジェのように屋上に残っている。騒ぎになった時にはメディアのヘリまで飛来

したそうだ。


芋洗い坂をアマンドからだらだらと降りると、Y字路に居酒屋「赤札屋」の「食べ放題800円」と大書した張り紙を発見した。


大食いではない私は基本的に食べ放題はあまり好きではない。元が取れないからだ。


が、ランチを摂るところを探していた私は(まっ、いいか、ここで)とあまり期待せずに入ったのだった。


が、何という事でしょう!


寿司はある、中華はある、てんぷらはある、カレー、そば、などなど。デザートには杏仁豆腐、グレープ

フルーツ、コーヒーまであるではないか!


あいにくダイエット中の私は油物、揚げ物は避け、寿司とそば、グレープフルーツにコーヒー、サラダと

まあ、元を取ったかどうかのぎりぎりのところ。


今日は土曜日だったから空いていたが、平日はサラリーマンで大変な込みようだそうだ。若い男性などは

泣いて喜ぶ内容だと思う。


おしゃれとは言いがたいが、イケメンの従業員もいる事だし、六本木に出たら寄ってみたら?


居酒屋「赤札屋」六本木店 03-5410-0668



ちょっと古くなるが、猪口邦子氏(少子化、男女共同参画担当相)が東京新聞「いま、会いたい」(12月4日付)で気になる発言をしていた。見出しの「多様な選択許す社会に」というのがそれ。少子化専任閣僚の誕生は日本の政治史上初という事だから是非手腕を発揮してもらいたいところだが、環境を整えれば、若い世代が子供を産みたいと思うのだろうかというインタビューアーの質問に対して「産めよ増やせよ、といった復古調の価値観を女性に押しつけても、問題は解決しません。多様な選択を許す社会にならないと、民主主義さえ危うくなる」と答えている。


細かいようだが、「許す」とあるのは世間を差しているのだろうが、多様な選択は許されなくては実現しないのか、大変気になった。


「許す」という表現に関しては大分以前に、夜間学校に通って確か文部大臣賞を受賞した主婦がいたが、新聞報道をした記者が「彼女もえらいが、彼女が学校に通うのを許した夫もえらい」とあった。なぜ彼女が夫の許しを必要とするのか、言外には夫の食事作りや家事をおろそかにしてまで通うには夫の承諾が必要、との古い価値観が感じられた。確か彼女はそうした作業はきちんとこなしたとの記述があった記憶があり、なおさら気になった。


そんな細かい事などどうでもいいと思う方もいる一方で、私が彼女なら、赤の他人(記者)に、「許した」夫がえらいなどと決め付けられたら(余計なお世話だ)と思っただろう。


もし夫が率先して家事をシェアしたとしたら日本のスタンダードでは「えらい」だろうが、夫婦が家事を分担して助け合うのは欧米では特にえらくも何ともない普通の行為である。


猪口さんも他意はないと思うが、ここは「多様な選択可能な社会に」の方がよほど自然で感じが良かったと思う。


新聞の中の差別的表現は随分と消えた。かつては60才の老女などとあったものが、最近では80才の女性と報道される。女らしい、などは死語である。許す、などという古い価値観から来る表現もなくなって欲しい。

私は熱心な女子フィギィアスケートのファンではないが、オリンピック代表を決める場で荒川選手の落ち着いた、自信に満ちた態度に加え、指先まで神経の行き届いた華麗な演技に感心して、日本人で入賞するなら彼女だろうと素人目に思った。


ところが露出の多いのは安藤美姫選手ばかりで、荒川さんや村主さんはあまり取り上げられなかった。  海外のメディアの入賞予想は荒川選手の銅メダル。公平な判断だろうと感じたが日本サイドでは荒川選手より村主さんの方が評価が高かったのではなかったか。  


それが一転、終わってみれば荒川一色。報道写真の大きさは安藤選手をはるかに引き離し、号外まで出るフィーバーぶりである。手のひらを返すようとはこの事である。


あるスポーツライターは金メダル受賞後のコラムで、日本は成熟を好まない、安藤選手ばかりを取り上げた事にそれが端的に出ている、とはっきり書いていて、その通りだと私も思う。日本のメディアの若手偏向報道は卓球の愛ちゃんばかりを報道する姿勢にも表れていて、かつて卓球少女だった私は非常に不快を感じる。私は強い選手の試合が見たいので、特に愛ちゃんを見たいとは思わないのだ。ミーハーなファンばかりではない、真の卓球ファンの事も考えて試合の時間配分も選手の扱いも公正に報道してもらいたいと常々思っている。  


まあ、今回は結果的には荒川選手にプレッシャーがかからなくてよかったのかも知れない。荒川さん自身は安藤選手ばかりがもてはやされる事をどう感じていただろう。


一つ彼女の発言で気になったのは「オリンピックは若い人のものだと思っていました」と言った事。若い人って、荒川さん、あなたはまだ24才ではないですか。スルツカヤさんは27才です。彼女をしてそんな発言をさせてしまったのは安藤さんばかりを取り上げた日本のメディアの責任ではないのだろうか。


私が荒川さんなら(何よ、金メダルを取った途端に急にちやほやしちゃって、私の実力を思い知ったか!)と内心鼻息も荒く毒付くところだが、彼女は帰国後のインタビューを聞くと精神力の強さとおっとりした性格を併せ持つ人格者のようで、メディアに対して皮肉っぽい事は一言も口にしていない。


いずれ現役を退いたら告白本で激白するのだろうか? 是非そうしてもらいたいと毒入りコラムライターとしては思う。



東京人の行儀の悪さ/ぐうらた加減は今に始まった事ではないが、今日、すごいのを発見した。


アパートの近くを歩いていたら、20代前半の、女性とおぼしきヤカラが自転車に乗り、右手に持った携帯で何やら喋りながらやって来た。


(あああ、危ないなあ、車でこれをやったら罰金なのに)と苦々しく眺めていたら、さっと携帯を引っ込めた。私の姿を認めて、危ないと思ったのか、なかなかいいヤツだ、と考えを新たにしたら、今度は左手に持った

タバコをふかし始めた。


ひえーっ!


彼女、右手に携帯、左手にタバコの二刀流で自転車をこいでいたのである。「ながら族」はここまで進化したのである。


それにしてもみっともない、女の名折れですよ(古いか...)。


車だけでなく、自転車のながら族にも早く罰金を課してください。