嘘はいけないが、ホワイト・ライ(罪のない嘘、思いやりの嘘)なら許されると私は考える。映画『パール・ハーバー』がいい例である。負傷者の群れを、助かる見込みのある者と全くない者を判別して額に印をつけるという作業を医師から言いつかった看護婦は、助からない者にも「大丈夫よ」と励ましつつ見込みなしの印をつけるシーンがある。これもホワイト・ライである。こういう嘘は、つく本人が1番つらい。それができるのは実は強く賢い人である。
                               

本音ばかりで生きるのも賢い選択ではないのだと人生で思い知ることがいつか必ずある。職場で人間関係を重視するなら、嫌いな上司でも嫌いと言ってしまっちゃあ、おしめえよ、と車寅次郎サンならずとも言うだろう。 

私がつく嘘の1つは年齢である。私の年齢が20才だろうと60才だろうと誰に迷惑をかける訳でもないのに、日本人はありとあらゆる場所と機会をとらえては年齢を話題にする。あまりしつこいと「私?確か今年18才です。本人が言うのだから確かです!」と尻をまくりたいところだが、変な女と思われても損なので笑ってご まかす。

 

年を聞く人は野暮天である。間違いない。もう年だからとか、その年で、とか年ばかり気にする人も野暮天である。とにもかくにも私はまだ独身なのだ。独身女性に年を聞くとは失敬な!とたまに応募するクイズの年齢欄にも書き入れたいところだが記入欄をプルダウンしてもそんなものはない。どうせ何も当たりゃしないんだし、聞くところによると若い女性の方がよく当たる、というかよく当てるそうで、そっちがそう来るならこっちもと、当たった時に差し障りがないようなら実年齢よりも20ばかり若い年齢を記入する事がある。 

 

商品の総額表示は慣れてみれば結構わかりやすくていいけれど年齢表示は百害あって一利もない。女優さんがワイドショーを賑わすと必ずといっていいくらい年齢が出る。アメリカでエリザベス・テイラー(73才)などと出そうものなら彼女に猛烈な抗議を受けそうだ。

 

朝日や読売に投稿して採用されると、困った事に年齢を書けと「強要」される。掲載の前に電話がかかって来た事があり、年齢は書かないで欲しいと粘ったが、「はあ、でも投稿者の年齢を見る読者が多いんですよ」と言われ、渋々書いたが、個人情報流出の多い現在、年齢という個人情報をそう易々と与えるものではない。

 

ニューズウィークの投稿欄がなぜか非常に眺めがいいと思ってよく見たら年齢表示がない。すっきりして実に気分がいい。

                               

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昨年「東京都青少年の健全な育成に関する条例」とかいう耳慣れない条例が改正された。改正内容には5つの項目があり、青少年(18才未満)の保護者は通勤、通学などを除いて深夜(23時から4時まで)は外出しないよう努めてください、そして深夜の立ち入り制限施設を現行の映画館、劇場、ボーリング場、スケート場、水泳施設に加え、カラオケボックス、まんが喫茶、インターネットカフェを加える、で、入れた店は罰則の対象になるそうだが、ここにクラブや居酒屋がないのは都のミスである。

 

私は居酒屋チェーンで酒を飲む中学生を目撃しているし、偽IDでクラブに出入りする未青年は多数いる。この間青山のクラブに行ったらどう見ても高校生以下の男の子がお酒を飲み、タバコを吸い、堂々と夜遊びしていた。

項目の1つには都が指定した不健全図書や成人向け図書などを見せない、買わせない為に、包装して販売させるとあって、昨年7月1日より行われている。私が近所のコンビニに苦情を言ったのも少しはこの条例成立に寄与しただろうか?コンビニで高校生が堂々とエロ雑誌を読む風景にはいつも辟易していたのだ。こうした意識の低い青少年を育てたのは他ならぬ大人であり、深夜に青少年を連れ回したり、使用済み下着を買ったり、不健全雑誌を氾濫させているのも大人である、子供と社会の将来の為に、環境を改善するのは大人の責任であるからして都民みんなで力を合わせて青少年が健やかに育つよう、社会を変えていこうじゃありませんか、と都の広報にはあった。何だかきれいゴトで空々しい。条例施行から約1年、少しはこの条例が役に立っているのだろうか。

 

条例の詳細

                        

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「トーキョー・へッドライン」というフリーペーパーに吉川晃司という歌手がエッセイを連載している。ロッカーだから斬新、ユニーク、かつ過激なことを書いているかと思って読むともなく読むとこれがまた随分と古めかしいことを言っている。

好きな女性のタイプは「野に咲くレンゲ草のような(ピュアな)女性」だそうで、ピュアな人間という事体もう矛盾がある。人間とは純粋に善意のみ、または悪意のみの存在ではないからだ。こういうのを英語でオキシモロンと言いますね。

日常生活が「サバイバル型」か「ピクニック型」かで伴侶の好みも分かれると思うが、私が男だったら「危機に陥っても頼りになるリンダ・ハミルトンのような強い女性」を選ぶ。詐欺、騙しの横行する世の中で「ピュアな」パートナーなんか選べば、ぱっくりと口を開けて待ち構えている困難の落とし穴にはまる事は目に見えている。

「女性にそれ(ピュア)を押し付けててはいけないことはわかってるよ(筆者註:わかってないって)。子供を生んで母になる女性は、やっぱり現実的に生きなきゃいけない。それはわかってるんだけど(わかってないってば)、大和撫子はどこへ行った、という気持ちは消せないんだよ」

時代が移り変わって武士道もすたれ、侍もいなくなったように、良妻賢母教育もなくなり、大和撫子も、もう時代に合わないので淘汰されたのですよ、吉川クン。

「他の男に横恋慕されて犯されそうになった時は、舌を噛み切って死ぬとか、そういう思いは今ないでしょ。まあ、逆の立場で俺にそれが出来るかっていったら…。」

自分に出来ないのに異性に自分の勝手な価値観や主義を押し付けることを「ダブル・スタンダード」と言って、古くさーい考え方。まだ日本には根強くはびこっているんですね、これが。傷付いた女性を拒否するなど、とんでもない。私は自分の恋人が男性にレイプされても舌など噛み切らないで生き残って自分の元に戻って来て欲しいと思いますが。

まあ、こういう考え方なので自分は結婚できない、と重々承知していらっしゃるようです。ついては「家庭も守れないヤツに何ができる」なんて陳腐な決めつけなどなさらず、ソクラテスなんて人も家庭は守れませんでしたが、偉大な哲学者として名を成した訳ですし、もう少し頭を柔らかくして映画「恋は嵐のように」でも観て、頭の中の妄想の女性ではなく、Accept people as who they are. 生身の女性をあるがままの姿で愛せるようになって幸せな結婚生活を送れるようになってください。NYでかつての恋人と仲良く歩いていたのを目撃した私からのアドヴァイスです。

 

 

 

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騒音主婦を「落とす」には

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ブログや掲示板はこの人の話題で持ち切り。その人とはそう、先日傷害罪で逮捕された奈良県の主婦、河原美代子容疑者。彼女は1990年に、道をはさんで約6メートル離れた隣家の女性宅が庭園灯を設置したところ、まぶしいと文句をつけ、それ以来壮絶なイヤがらせを始めたという。

 

いや、TVで映像を見ると、もうイヤがらせの域を超えている。「引っ越せ」と日に73回も電話が来るわ(電話代も相当な額なのに)、インターフォンや塀をめちゃくちゃにされるわで、もうこの時点で既に軽犯罪。そして今年3月までほぼ毎日24四時間、約10年にわたってCDラジカセでやかましい音楽を大音量で流したり、車のクラクションを鳴らしたり、非常識、傍若無人な振る舞いで、普通なら地域からボイコットを食うとか、すぐに警察が駆けつけるところだが、警察はなぜか及び腰で、引っ越すか、裁判か、我慢、とアドバイスしたそうだ。その後裁判をして損害賠償金を払うなどの決着がついたそうだがそれでもイヤがらせは続き、不眠、頭痛、めまい、吐き気などの症状を訴えて被害届けを出し、今回の逮捕となった。

遅すぎた逮捕の理由はこの迫力満点の女性に辟易していたのか、地域の人達も「触らぬ神に祟りなし」とでも思ったか。それにしても被害者は「毎日が地獄」と言いつつ10年も暮らしていたのだからその「騒音耐性」の高さにはびっくりする。私はマンションに住んでいた時に階上で走り回る子供の騒音、30回以上ものフトン叩きをする主婦の多さに耐え切れずに引っ越ししたようなもので、日本全体があまりにも生活騒音に無神経だと常々思っている。生活騒音に対してはもっと厳しい条例があって然るべきだ。

調べに対し、河原容疑者は動機の供述を拒否しているという。私が見るところ、何が動機かと改めて聞かれると彼女も答えにくいのではないだろうか。1つには夫を亡くした喪失感であろうと思う。何人か夫と死別した女性を知っているが、タガが外れるというか、素敵な奥様だったのが、イヤミやからみ酒、横暴、変な言動と、急変するのを見ている。そして、日頃からの地域との軋轢。彼女も本当はコミュニティに受け入れてもらいたいのに受け入れてくれない住民に対する反抗心もあったと思う。

捜査官はよく犯罪者をカツ丼で「落とす」というが、彼女から動機を聞き出すにはやさしい言葉が1番。


「夫を亡くしてさぞ大変だっただろうね」「あなたもつらかったんだね」


これで彼女は(鬼の目にも)涙、涙で動機を自白、そして改悛と一件落着...すればいいいのだが...ご近所の方のピースフルな毎日がこの先ずっと続くよう願っております。

 

なぜか人生相談とか性の悩み相談とかに興味があって時々読む。ある時、読売新聞の人生相談欄で、夫婦で長男夫婦と同居する70代女性がこんな相談をしていた。

 

「元来、ある特定の人に向かうと、自分の考え、感情を出すことができません」「頭の中に、言いたいことや怒りの感情を全部閉じ込めて生きてきました。我慢にも限界があります」

 

彼女にはどういう人が苦手なのかうまく説明できないけれど、どうしたらそういう人にも本音を言えるようになるのか知りたい、イライラは旅行や気分転換でも晴れず、つい夫に当たってしまうのだという。よーくわかります、そういう気持ち。抑圧感って言うんです、そういうの。

精神科医である回答者の答えは、今まで相手を傷つけないように本音を言わず上手に対応してきたのは立派なことである、苦手な人に本音を語れるのは理想だが、それは相談者も言うように「ある程度」に抑え、状況や話の内容に応じて話し方や感情表現の工夫が必要である、カウンセリングを希望するなら該当機関に問い合わせることもできますという伝統的価値観がほの見える、糠に釘、のれんに腕押し的毒にもクスリにもならない内容なのだ。

 

そこで不肖、私が、フランクでウィットに富む、アメリカで最も多くの読者を獲得して2002年に83才で死去した有名な人生相談回答者であるアン・ランダース風な回答を試みてみた。

  「親愛なる70代女性へ

あなたのお悩みはよくわかります。あなたはとても思いやりのある、気遣いのできる方なのですね。でも長い間、自分を抑え込んで来た事が知らず知らずのうちに積み重なって大きなストレスとなっている事に最近気づいたわけですね。そろそろ古い慣習や価値観から離れ、誰はばかる事なく自分の心に忠実に話したい、そう思い始めたのですね。それはあなた自身の内なる叫びです。

 

おめでとう!あなたは自分自身に目覚めたのです!「人形の家」のノラのように!

旅行や気分転換でそうしたストレスが解消されないということは、根本的な解決法が必要な時期になっているからです。思い切った手段に出るいいチャンスです。遠慮することなく自分の考えを述べてください。ただ、怒りの感情を全部閉じ込めて生きてきたとご自分でも仰っているように、たまった怒りは一旦、専門家の力を借りて外に出し切った方がいいですね。専門家とのロールプレイでポジティブな表現法を習得してください。

 

案外身近な夫が怒りの一因ということも考えられますので、是非配偶者と一緒にカウンセリングを受けることをおススメします。どういう人がなぜ苦手なのかもわかり、それに対する対処法も学べるはずです。

言いたい事をきちんと言う、言える、何と素晴らしい生活があなたを待っている事でしょう!

 

グッド・ラック!」

 アルファベットにひらがなにカタカナ、漢字と日本人は文章を書くにも大変だっていうのに金融機関に行くとサイン、印鑑、暗証番号が必要な時代。

 リサイクルショップに古着を委託で売りに出す私は、代金受け取りの際によく印鑑を忘れる。ある店では拇印で代用できるが、他の店では印鑑がないと払い戻してくれない。全く印鑑社会は不便でしょうがない。いい加減日本も世界のスタンダードであるサイン社会に完全移行したらどうかと思う。 

 

最近はパソコンで銀行通帳の印影から簡単に偽造印鑑が作れてしまうそうで、盗まれた通帳の預金を引き出された預金者が、本人確認を怠った銀行に賠償を求めたというニュースもあった。もう印鑑で預金を引き出すシステムは時代に合わなくなっているのだ。クレジットカードなどはサインで機能しているのだから預金もサインで済ますようにすべきである。フランス人の知り合いは印鑑なしで銀行に口座を持てたことだし日本人にもそうして欲しい。

 

お隣の中国ではクレジットカードでの買い物の際はサインだけでいいか、それとも暗証番号の入力も必要かという論争が長年続いているという。クレジットカードが持てるのは一部の富裕層に限られ、まだセキュリティー面での抵抗が大きい上、既に一般的になっているデビットカードでは端末での暗証番号の入力が求められる為、カードの大手発行元の銀行は先頃、クレジットカード利用に暗証番号入力も選択できる制度を開始したそうだ。海外での利用は従来通りサインのみで、暗証番号利用など世界の常識に反するとの意見もある。サインなど簡単にまねできるとの不安が強いそうで、なるほど、器用な中国人ならそうかもしれないとも思う。

 専門家は「カード犯罪の大半はカードの偽造によるもの」「暗証番号を盗む事こそ簡単で、サインが一番確実」という反論もあるそうだ。

 ま、印鑑業者には申し訳ないが、横着者の私はいつも印鑑を携帯しなければ用が足せない社会はいやだし、大体盗まれればそれまでだし、預金引出しにはサインと近頃あちこちで行われる「本人確認」のように、バスト、ウェスト、ヒップのスリーサイズを登録しておくとか(100、50、100などと虚偽申告も可)、好きな俳優、パソコンのクラッシュ回数、どっちの足から先に靴をはくかなど本人しか知り得ない情報をパスワードとして使えばセキュリティはバッチリ。パソコンの世界では既に使われているテクニックである。

                   

セクハラ、痴漢、覗き見、盗撮、癒し系ならぬ「いやしい系」のニュースが後を絶たない。教師も警官も政治家も、自分の恋人すらも信用できない世の中になってしまった。彦根市の女風呂では盗撮事件に続き22     才の女装大学生の侵入事件。おちおち銭湯にも行けない。

 

先頃例の、女子高生のスカートの中をのぞき見して現行犯逮捕された早大大学 院教授で経済評論家の植草一秀容疑者、逮捕時の状況は当時のZAKZAKによると...

昨年4月12日午後1時すぎJR横浜駅のエスカレーターを1時間以上も上り下りしながら女性を物色していたところをテロ警戒のために巡回していた神奈川県警鉄道警察隊員が不審に思いJR横須賀線に乗った容疑者を尾行。自宅近くの品川駅で下車した容疑者が下りエスカレーターですれ違った女子高生に目をつけてUターン、上りエスカレーターで彼女の背後につき、名刺大の四角い手鏡を取り出したところを東京都迷惑防止条例違反の現行犯で逮捕された。この事件に関しては先月罰金50万円と手鏡没収という刑が確定した。何なの?手鏡没収って?

 ここで女子高生に一言だけ言いたい。

 

 スカートが短すぎる!

 

私が女子高生だった時にはウェストをくるりと1回だけ折り返したものだが、今は3回も折っている!スカートが短いから覗かれても仕方がないなどとは言わないが、 超ミニが似合いもしないのに猫も杓子も生足を寒風に晒してみっともない。そんな恰好、見たくもない。学校側も自校の生徒がどれだけ短いスカートをはいているか、きちんと把握しているのだろうか。校則よりはるかに短い丈のスカートをはいているのを知りつつ見逃しているなら監督不行き届きのそしりは免れない。

早稲田出身者が特にいやしい系である訳ではないが、思い出すのが1昨年6月解散した早稲田のイベントサークル「スーパーフリー」のメンバーによる女子大生集団暴行事件。同サークルをめぐっては代表だった和田真一郎被告ほか計14人が起訴さ れていて、すでに6被告が懲役判決を受けている。メンバー12人とかで六本木の雑居ビルの居酒屋で当時18歳の女子大生を泥酔させ、人気のないところで集団で 強姦するなど悪質卑劣極まりない。「男はみんな狼よ」というクリシェを再認識させる事件だった。

女を性の対象物(セックス・オブジェクト)としか見られない男はいやしい系。

 

これ、流行語大賞に選ばれないかしら。

日経新聞6月1日付「国連女子差別撤廃委員会(CEDAW)」に関する記事によると、去年8月に日本での女性差別撤廃状況に関して勧告、コメントを送ったそうで、日本政府がそれにどう対応すべきかという見解案を先ごろ(9ヶ月もかかってようやく!)まとめたという。同委員会の勧告を政府調査会が調査、検討し、取り組みの方向性を打ち出したのは初めてのことだそうだ(そんなことでいいんかい!)。

女子差別撤廃条約を批准した国は少なくとも4年に1回は女性の地位向上の進み具合を国連事務総長に提出しなければならないそうで、日本が出した報告書に関しては 過去にも勧告が出ているにも関わらず、国内での施策にどう反映させるか検討されたことはなく、批判が出ていたとか(そりゃそうだ)。

勧告にはDV法の拡大(一応衆院本会議で可決、成立済み)やら女性差別の定義を明確にせよ、とか強姦罪の罰則を強化せよ、母性保護に努めよなど、幾つかあるが私が注目したのは「女子差別撤廃条約選択議定書の批准問題」。やたら長たらしいが、つまり、条約に定める権利を侵害された個人あるいは集団がCEDAWに通報できる制度を日本はまだ批准していない点。なぜかというと日本の司法権を侵害する恐れが あるだの、条約締結国170カ国中批准しているのは60カ国であることを考えて、検討が必要、と超スロー&腰が引けた対応ぶり。大体国連に言われなきゃ男女平等の制度が進まないってのも情けない話だ。

監視専門調査会会長の古橋氏は「大切なのは、批准することが男女共同参画社会の形成をどう促すのかといった本質論だ」と仰っているが、そんなの、簡単、女性差別がなくなれば女性はハッピーで男性ともっと仲良くなれ、優しくなれ、男性もハッピーで万々歳。

すべての差別がなくなれば世界も平和。そんな世界は、ジョン・レノンの「イマジ ン」の中にしかないけれど、インポッシブルではないと信じたい。

 家電リサイクル法が施行されて4年。大型家電は小売店やメーカーに有料で引き取ってもらう訳だが、それで物を大事にする風潮が強まったかと言うとそうでもない。粗大ゴミの日にはまだ使える家電が棄ててある。何故か。1つには家電の修理代が 高すぎるからである。出張費を取る上に修理してみないと料金がわからないというメーカーの見積もり能力のなさのせいで、ええい、面倒な、だったら修理せずに棄ててしまって新品を買おうという風潮が生まれる。

更にメーカーは次々と新製品を発売する。それもちょっとずつ新機能を付け足して 売り出して消費者の購買欲を煽るのだ。そうなればそちらを使いたくなるのは悲しい人間のサガである。全く人心をもてあそぶのもいい加減にしろ、と言いたくなる。私の新し物好きの友人などはコードレス電話の走りの頃、次々と使える距離を伸ば した機種が発売され、それをすべて買って、前のモデルは私にくれた。おかげで私は1つ前の型とは言え文明の利器を使う恩恵に浴したわけだが、こうしたメーカーの姑息なやり口には腹が立つ。続々と新製品は出る、修理代は高いではまだ使えるものでも捨て、結果としてゴミを増やしてしまう傾向にはメーカーにも責任がある。

 

 私は5年使ったファクスの受信のみ調子が悪くなり、修理に出そうとしたら出張費だけで5千円はかかると言われた。修理代を聞いたら、受付けの女性は修理の素人で、後から技術者が電話をかけて来た。まったくスパッと話が決まらない。忙しい人、金のある人なら新品を買うところである。電話をかけて来た技術者にことこまかに状況を説明し、さあ、どれぐらいかかるのかと迫っても「はあ、見ないことには」とこんにゃくのような返事である。なぜプロなのに大体の予想すらできないのかとしつこく食い下がると1万円は下らないだろうとようやくの事でゲロした。そんな予算はないから、インターネットの掲示板で助言を求めたら、内部の芯棒を機械油で拭けば直るというレスがあった。修理に来た技術者がその芯棒にちょこちょこっと油を塗って8千円も徴収していったと、その人は怒っていた。機械油などないからオリーブ油で代用したらすぐに使えるようになった。修理代がかからずほっとすると同時にそういう対処法も把握していただろうに、金にならない事は教えてくれないメーカーに腹が立った。

 

掃除機の修理費が高いので、自分で分解してほこりを取ったら動くようになった知り合いがいる。修理に出す前にほこり取りと油差し、原始的ながら、これがメーカーを儲けさせない鉄則かも。

キスと民主主義

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海外旅行が特別な事でなくなった現在では死語だが、外国帰りは「洋行帰り」と言ってハクが着いた時代があった。戦後初の洋行帰りをした女優は人気絶大だった田中絹代。彼女は帰国パレ-ドで投げキッスをしたり、取材記者との受け答えもアメ リカ流だったり、すっかり「アメリカかぶれ」(これも死語か)になって、ひんしゅくを買ったそうだ。
 田中絹代に次いでアメリカに渡航をした2人目の女優が山口淑子。彼女はハリウッド での記者会見で訪米の目的を聞かれ「キスの勉強をしにきました」と答えた。翌日の新聞には「キスを習いにきた日本の女優」と好意的に紹介されたそうだ。彼女はウケようとして言ったのではなく、実は大真面目だったそうで、日本での歓送会で映画評論家から本場の美しいキスの場面を学んで来るようにとアドバイスされていたのだ。

 キスシーンはTVでもよく見られるようになったが、日本映画にはキスシーンはご法度だった。キス解禁は1947年東宝映画「四つの恋の物語」らしく、ガラスごしの 「接吻」シーンは当時、映画史に残る名場面とされたという。そんな時代、バカらしいと見るか麗しいと見るかでその人の感受性度数(EQ)がわかる気がする。いまどきのアメリカ映画では、刑務所の面会で恋人や夫婦がガラス越しに手のひらを合わせるシーンがあるからかえってアメリカの囚人にウケたりして。

アメリカでは日常的にキスをする。家族のキス、友人間のキス、そして恋人同士のキス。そういった環境の中で子供の頃からキスに慣れているアメリカ人は特にキスを習わずとも状況に応じて軽いキスからフレンチキスまで対応できる。最近は人前で平気でキスをする日本人男女がいる一方で、パブリック・ディスプレイ・オブ・アフェクション(PDAと略される。人前での愛情行為)を含め日常生活の中でキスをする習慣がない のでキスはまだまだ発展途上と言わざるを得ない。私も年頃にはキスとはどうするのか、鼻は高くないので『誰が為に鐘は鳴る』のイングリッド・バーグマンのよう にキスをする時鼻はぶつからないのかと悩む事はなかったが、美術の時間に作った 彫像相手に練習に励んだ。

 フレンチ・キスも簡単ではないが挨拶代わりの軽いキスも難しい。チュッと快音が出ず、下手な人がするとビチュ、と濁音が出る。気分は台無し。デューク・エリン トン作曲の『プレリュード・トゥ・ア・キッス(キスへの前奏曲)』という曲があるが、日本人はキスの前のムード作りも下手。いきなり抱きついてキスを迫るという最悪のパターンもままある。

 

社交の場で交わされる事の多い頬へのキスがソーシャルキス。必ずしも肌にする必要はなく、左右の頬に

キスをするマネ(エア・キス)や唇で「モワ」と音を出すだけの擬音キスなどがあり、これが案外難しい。どうしても最初は恥ずかしさが先に立ってしまうのだ。ようやく慣れた頃に帰国してしまい、今度は、たまにNYに行くと、ハグは何とかこなすが、ソーシャル・キスはまたまた気後れがするようになった。

まあ、基礎コースはクリアしたから、アメリカで何を学んだのか、と聞かれると、私は、キスと民主主義、と洋行帰りの先輩女性に倣って答えている。帰国してからは両方ともプラクティスの機会が少なくなって、キスの味と民主主義の味がどんなものだったか、しばし考えないと思い出せなくなっている。

追記 日本経済新聞(2004.8.26日)に山口淑子さんの半生記が載っていた。

それによると1950年に「醜聞(スキャンダル)」という映画のプロモーションを兼ねてアメリカ旅行に出かけた際、批評家たちに「キスシーンの勉強をしてきて」と言われていたのだそうだ。


で、渡米時の記者会見で、ハリウッドで何を学びたいかと聞かれ、「キスの仕方を勉強に来ました」と答えたのだという。