一流でなくてもいい?

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自分のこと、特別な人間だとおもいますか。

 

私は、ある性格分析によると

特別な状態でいないと、満足感がないタイプ(タイプ4)です。

人からも、一目置かれたいと思ってるタイプ。

 

周りの人に訊いてみると

そういえば、人と違うことをしている

変わっている、と言われます。

私は昔からそう言われてきました。

 

46歳で北京に一文無しで逃げるようにう北京に留学したことなども

確かに普通ではりまあせん。

そんな普通じゃない自分に、私はよしよし、とほくそ笑んでいるのでしょうか。

ひじょうにおぞましい限りですが。

 

意識するにせよしないにせよ

ひとには性格というものが備わり

良きにつけ悪しきにつけ

それに影響されて生きています。

 

そういえば、

2枚目、3枚目という分類もありましたね。

私は確実に3枚目ですが、

2枚目気取りをしてそのギャップで

見るものの注意を引くという

自虐的な性質もあります。

 

では

1流、2流、3流というのはどうでしょう。

私の周りには

世間から1流とか神とかいわれている人が数多くいます。

1流の人は何かをもっています。

そして不思議と自慢しません。

とても謙虚です。

 

そのひとが「持っている」ものを探るのはおもしろいことです。

とても興味深い。

真似できる部分はあるでしょう。

でもただ真似しても1流にはなれません。

 

私は何流でしょうか。

世間は3流と烙印を押すでしょう。

うだつがあがらないのは小さい頃からの「性格」といってもいいくらいです。

 

しかし、私はいつも1流に憧れ

亜流から1流を目指しています。

正面から1流を目指すことが出来ないことを感じ取ってきたのでしょう。

そして1流に横から近づきます。

 

1流とはそおれほどまでに、

憧れてしまう存在なのです。

 

3流でいいと割り切って生きることも可能ですが、

それでは私には寂しいのです。

 

1流はなぜいいのでしょうか。

それは生きることを肯定する美しさを

我がものにしているからではないでしょうか。

 

ただし、1流の人が幸せかどうかは

人それぞれです。

不幸な人も大勢いるのです。

 

1流でなくてもいい。

3流の人にも、かっこいい人が沢山います。

それは自分にとっては1流なのですが。

 

つまり世間の評価より

自分の評価が大事です。

1流の人はやはりいいものです。

 

世間ではなく、自分にとって1流の人に

私もなれたらいいな、と

これを書きながら気づいている私です。

 

パリにて

 

 

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