結局どこにいても同じものを見る | アダルトチルドレンの私が生きる記録として残す。

アダルトチルドレンの私が生きる記録として残す。

母から虐待されて育った悲しい私。生きるのは辛いものと思っています。双極性障害。早く安心して毎日を過ごしたい。

キラキラしていたように見えた世界に入ってみた結果は、どの場所に身を置いても結局おんなじ生き辛さの壁にぶち当たる。毎回またかと母と似た特徴を持つ人が現れて怖くなる。そして承認欲求に振り回されて苦しくなる。



3月は繁忙期で20名くらいの短期アルバイトがいました。学生がほとんどで、面白いことに2〜3週間するとそれぞれ役割が出来てきます。人と一緒に作業したくて群れる人、淡々と1人で作業する人。群れのリーダーとして引っ張る人。



自分の得意分野に特化してポジションを確保する人。上手くサボりながら時間を過ごす人。早い段階から社員に頼りにされる人。私は気がついたら便利屋みたいに、トイレ掃除から売り場変更まで幅広く振られるように。



それぞれ“これ”みたいな強みとか特徴があるのに、私はそうでなく何でも屋さん。都合良く使われているみたいで自分自身と重ねてしまう。自分を持つことが出来ずに成長して、周囲にとって便利に流される。それと重なって苦い気持ちになる。



今日は1日ベッドで寝て過ごしました。何にも考えたくないし感じたくない。時が止まってくれたら良いのになんて思っていました。人と接するのがしんどいです。生身の負の感情を感じるのが苦痛と言うか、エネルギーを奪われます。