「◯◯するべき」と言う1つの選択肢しかないと生きづらいし、自分自身苦しくなってしまいます。融通が利かない、よく分からない謎ルールを強要していた母。しかも滝行するような「苦行せよ」みたいな苦しさを伴うものばかり。
例えば、料理するなら1から出汁を取らなければならない。包丁1本を使いこなし、スライサーなんて便利なものを使うなんて「それは料理していない!」みたいな。全ての工程で快適さを選ぶことを許さない。しないとズルをするという発想。

偏ったものの捉え。しかも「ズルをする」と言う、卑怯者のように罪悪感を与えるのがポイント。出汁パックを使ったって、スライサーで千切りしたって料理だ。何事も1から丁寧に全部自分でしなければならない。この融通の利かなさの強要。
何かに頼るとか、手間を省くとか、人と協力してとか、自分が快適な方法を探すとか、選択肢として無いことの苦しさ。全てにおいて自分1人で抱え込むと、それはうつ病にもなるよなと思います。市役所に用事を足しに行けず自分を責めていました。
ふと郵送も出来ると言われたのを思い出します。電話で問い合わせると、別件も郵送で済ませられると。1ヶ月も「次こそ行けるかな?」とモヤモヤしていたのが、あっさり別の方法で解決しました。方法は1つではありませんでした。
毒親の視野の狭さは異様だと思っています。代々続いたその家のルールと、人目を気にした「恥だ、迷惑だ!」が基準の誤った独特な視点。全て不必要なくらい教えが役立つことはありません。選択肢がいくつもあるって大事ですね。
