アダルトチルドレンなら、親のようになりたくないと反面教師にする人もいますよね。私の場合、母のようになりたくないと、それが自分への禁止令になり、生きづらさに繋がっていると気づきます。適切なら良いんですが、過剰に抑えてしまうことで心が不健康でいてしまう。

例えば「母のように怒りたくない」と思っています。ヒステリックで相手を人格否定するような罵倒だからです。だから私が怒ると、母のような醜い姿になってしまう、そして相手を傷つけてしまうのでは?という恐れがあります。
だから怒りを感じてもねじ伏せて何でもないフリをする。相手に伝えることすら禁じてしまう。心はもの凄くモヤモヤして、怒りを長引かせ自分を不機嫌にさせます。しかも、いつも不機嫌だった母のようになりたくない。だからそれすら必死に見せないように偽ってしまいます。

0か100か思考の極端さと、完璧主義のように徹底して自分の怒りを見せないことに拘っている。いや、私は「母のそう怒る姿が嫌だった」「止めて欲しいのはお母さんだ」相手への願望で自分を縛っていることに気づきました。
自分がされて嫌なことをしない心がけは素敵だと思います。ただ、禁止令になってしまい、生きづらさに繋がっていないかな?と思って記事にしました。
もっと自由になれたら楽ですよね♫