日本のいちばん長い日  午前10時の映画祭final | 温故知新 YEBISU NOTE

温故知新 YEBISU NOTE

ブログの説明を入力します。

 1967年  岡本喜八監督




1945年8月14日正午の御前会議〜8月15日正午の玉音放送までの間の出来事を描いたドキュメンタリードラマ。文字通り、日本の運命が決定付けられた24時間である。その玉音放送を阻止しようとクーデターを企てた一派がいた。それが宮城事件。

今でこそ、少しでも早く終戦を導くことは出来なかったのかといえるのだが、無条件降伏を意味するポツダム宣言受諾など、受け入れ難いと思う勢力がいても何の不思議もない。

1つの歴史として敗戦があるとしても、国民総動員で
戦争に望んでいた当時の状況を考えると、玉音放送阻止に動く者がいるのは当たり前のことだったろう。

 アメリカに核爆弾を2発も落とされ、ソ連に不可侵条約を反故にされたのでは、もう、骨抜きにされたようなもの。これは、欧米諸国が協力して「黄色いサルの国」を潰しにかかったとしか思えない。


 俺自身は愛国心など微塵もない無政府主義者のようなものだが、国家というものがある以上、歴史に戦争はつきものなのだろう。

 前置きが長くなったが、その長〜い24時間を描いたこの作品は非常にスリリングで面白かった。

オールスターキャスト。NHK大河ドラマが一年がかりで揃えるようなメンバーを150分のスクリーン上に登場させた感じ。

最初のあたりから、笠智衆(鈴木貫太郎首相)、
宮口精二(東郷茂徳外相)、山村聡(米内海軍相)そして三船敏郎(阿南陸相)と役者が揃った。

笠智衆の鈴木首相というのも意外ながら流石な感じ。宮口精二さんの東郷外相がやけに印象的だった。歴史に残る24時間に繰り広げられた大群衆劇。
次々とよく知った顔が出て来るのが嬉しかったし、
あれだけのメンバーが1つの作品に出てきたことだけで大満足。知ってる役者さんを全部書き出したらきりがないので割愛するが、高橋悦史さんがいちばん印象的だった。

 映画に関しては実際見てほしい。反戦映画ととればそれで良いし、愛国映画ととればそれはそれで良いだろう。

ただ、この戦争での犠牲者は軍人、民間人合計310万人。そのうち米軍が上陸した沖縄は20万人ということは忘れてはならないだろう。

戦争は勝つと負けるでは「雲泥の差」があるが、その前に多大な犠牲が出る。

軍人さんというもの。「戦争を回避する存在」と考えたい。2015年版の作品では、阿南陸相と鈴木貫太郎首相の二人に特にスポットをあてていた。1967年版も三船敏郎、笠智衆の両大臣大きな見せ場があり、自決する阿南陸相が最後に首相に会いに行く場面は非常に良かった。この両大臣はともに軍出身。
特に、海軍上がりの鈴木首相はかなりの人格者だったらしい。

 1967年版では黒沢年男、2015年版では松阪桃李が演じた畑中少佐。宮城事件の首謀者とされ、血気盛んな部分ばかりが強調され、自らピストル自殺で果てているのだが、実際は物静かな文学青年タイプだったらしい。この人は、もしかしたら周りの人間を抑えきれずクーデターに参加して、最後は潔く果てたのではないのだろうか?と私は考えている。

そして、映画ではかなりクールに描かれた高橋悦史さんが演じた井田中佐は、自殺断念。終戦後は政府の御用会社ともいわれる超大手広告会社に入社し、21世紀まで生き延び、本土決戦をすべきだった。と時々賜っていらっしゃったらしい。びっくり

そういえば、この事件に関与した方々は陸軍士官学校出身者が多いようだったが、うちの叔父も陸士に行っていたようだ。




もう一度まとめてみると、後に観る人間は、戦争は愚かだとかいくらでも言える。この映画で、玉音放送阻止に動いた人達は、ある意味狂人として見られたかもしれない。しかし、戦時下の日本社会を考えると、決して的外れな行動たったとは思えない。

もっとも、俺自身は愛国心などないアナーキスト?
であるのだが、この当時だったら、ごく普通の善良なる日本人は本土決戦を迎えることに賛成しても良いのではなかったのだろうか。

ただし、自分は愛国心など一切ないアナーキスト?なので戦争に巻き込まれそうだったら、一番に逃げる。グラサン

巫山戯たことを書き過ぎたかもしれない。

三船敏郎扮する阿南陸相の台詞に、
 多くの者がなぜ涙を飲んで死んでいった。
結果的な批判は何とでも言える
しかしこれは誰にしても日本を愛し日本の勝利を固く信じたればこその事である。

というのがあるが、その台詞を

どう取るか 

自分の場合、常日頃から映画を観て感情移入というものはしない方針であるので、冷めた目でしか見えない。
 
 終戦から昭和が終わるあたりまでは、批判的な見方も多かったろう。しかし、最近の若い人達は
かなり好意を持って見る人も多いのではないかと思える。戦争というものは、勝利したら国民は大歓喜で受け入れるだろう。しかし、犠牲者は必ず出るということは忘れてはならぬことだろう。