水上勉の『越後つついし親不知』を読んで以来、読む小説、読む小説がすべて僕にハマっている。
短編長編問わず面白く、あらためて小説を読む楽しみに浸る日々である。
本に向かう時間は相変わらず多くない。
それでも没頭の度合いが違う気がする。
ブログはそれに全然追いついていないのだが、写真を頼りに少しずつでも残しておく。
『忍ぶ川』三浦哲郎
『越後つついし親不知』にしても、この『忍ぶ川』にしてもそうだが、以前はこういう演歌のタイトルみたいな本にはまず食指が動かなかった。
実際、若いころは演歌も聴かなかったし、さして興味もなかった。
まあ大体そういうもんじゃないだろうか。
年齢とともに少しずつ演歌に耳を貸す(偉そうに!)ことも出てきたが、それとて「ちあきなおみはブルーズだなあ」だの、「ゴスペルかと思ったら島津亜矢じゃん」だの、なんとなくバタ臭い曲や歌手がアンテナに引っかかるだけだった。
それがここ数年変わってきた。
演歌もいい。
いや、全ていいわけじゃない。
コード進行も節回しもアレンジも、歌詞さえも皆んな同じに聴こえる曲もあり、そういうのに興味が無いのは相変わらずである。
というか9割以上の演歌はいまだにそう聴こえる。
「こういう曲に存在価値があるのか?」
でもそんな中に時々予想もしないような名曲が隠れている。
それは初めて聴く曲もあるし、子供の頃に聴いた曲だったりもする。
何度も聴いてたはずなのに、その良さにちっとも気がつかなかった、という具合だ。
いつもの雑踏を歩いていたら、突然前から来た女に抱きつかれるような甘い衝撃に浸ったり、突然前から来た女にナイフで心臓をえぐられるような胸の痛みを味わう羽目になったりする。
ロックもジャズも基本的に名曲に出会う時は同じなんだろうが、演歌はまた一味違う。
歌の世界が直接胸に入ってくるし、その気になればすぐに歌えもする。
今僕が心臓をえぐられているのは、藤圭子の『新宿の女』。
藤圭子はなにを歌ってもいいなあ。
何の話だっけ?
あ、小説ね。
つまりそのなんですよ、『忍ぶ川』もそれくらい良かったってことですよ。
以上、『忍ぶ川』の感想でした。
芥川賞受賞作も泣くね。