お彼岸を過ぎ、春が来ました。

もう桜も咲いています桜

今日は空も晴れ渡り、これ以上ないほどの美しい青でした。

 

 

 

たまたま今、「みんなの卒業式」という番組を見ています。

何となく、パプリカのFoorinが、つまり吉田日向くんが出ることは知っていました爆笑し、それゆえ録画するつもりだったグラサンのですが、すっかり忘れていました。

 

早く自宅に戻れたこととは関係なく、ただ何となくテレビをつけたら日向くんの姿があり、チャンネルはそのままとなり、視線も固定されました。

ただ、今もこうして見てるのは、その引力に加えて、心が揺さぶられるものがあるからです。

 

 

自分自身、もう卒業式なんてはるか昔のことですし、卒業する子が近くにいるわけでもありません。

卒業式についての思い出も、まあ良い思い出ではあるのですが、一般的な感じだと思います。

そして世の中には、不登校だったり不登校にならざるを得なかったり、中退したりで、卒業しなかったりできなかったりする人たちがたくさんいます。

 

それでも、確かに今年の「卒業生」に対して、せめて卒業式はやってあげた方が良いのではと思っていました。

 

番組で小・中・高生たちの声を聞く中で、その気持ちはますます強くなりましたが、こうして

 

 

<別の形>で一つになれる

絆がより強くなる

 

 

ことで、その世代のオリジナルの思い出になりますし、それが将来の心の財産になるはずです。

 

 

 

RADWIMPSの「正解」を聴くことになり、ホロっとしました。

涙が流れました。

いまの高校生は、こんな歌で卒業するとは、良い時代になったもんですね照れ

 

人々の心を一つにするのは音楽です。

 

 

 

 

 

普通に卒業した人間が言うのもなんですが、9年前の震災で被災された方々、その時の「卒業生」たちは、おそらく式のことなど考えることはほとんどできなかったと思われます。

 

有名な、当時中3だった階上中学の生徒会長だった梶原裕太君の答辞を、忘れてはなりません。

 

卒業生代表の言葉  本日は未曽有の大震災の傷も癒えないさなか,私たちのために卒 業式を挙行していただき,ありがとうございます。  

 

ちょうど十日前の三月十二日。春を思わせる暖かな日でした。  私たちは,そのキラキラ光る日差しの中を,希望に胸を膨らま せ,通い慣れたこの学舎を,五十七名揃って巣立つはずでした。  前日の十一日。一足早く渡された思い出のたくさん詰まったアル バムを開き,十数時間後の卒業式に思いを馳せた友もいたことでしょう。「東日本大震災」と名付けられ る天変地異が起こるとも知らずに…。  

 

階上中学校といえば「防災教育」といわれ,内外から高く評価され,十分な訓練もしていた私たちで した。しかし,自然の猛威の前には,人間の力はあまりにも無力で,私たちから大切なものを容赦なく 奪っていきました。天が与えた試練というには,むごすぎるものでした。つらくて,悔しくてたまりま せん。  時計の針は十四時四十六分を指したままです。でも時は確実に流れています。生かされた者として, 顔を上げ,常に思いやりの心を持ち,強く,正しく,たくましく生きていかなければなりません。  命の重さを知るには大きすぎる代償でした。しかし,苦境にあっても,天を恨まず,運命に耐え,助 け合って生きていくことが,これからの私たちの使命です。  

 

私たちは今,それぞれの新しい人生の一歩を踏み出します。どこにいても,何をしていようとも,こ の地で,仲間と共有した時を忘れず,宝物として生きていきます。  後輩の皆さん,階上中学校で過ごす「あたりまえ」に思える日々や友達が,いかに貴重なものかを考 え,いとおしんで過ごしてください。先生方,親身のご指導,ありがとうございました。先生方が,い かに私たちを思ってくださっていたか,今になってよく分かります。地域の皆さん,これまで様々なご 支援をいただき,ありがとうございました。これからもよろしくお願いいたします。  

 

お父さん,お母さん,家族の皆さん,これから私たちが歩んでいく姿を見守っていてください。必 ず,よき社会人になります。  私は,この階上中学校の生徒でいられたことを誇りに思います。  最後に,本当に,本当に,ありがとうございました。


                                                      平成二十三年三月二十二日

                                                       第六十四回卒業生代表    梶原 裕太

~「文部科学白書2010 東日本大震災への対応」より~

※2010というのは、その「年度」の白書ということから。

 

 

 

自分よりもうんと若い子が、中3の子が、あれだけの地獄のような状況で、このような答辞を立派な物腰で語った姿!

あの状況で、「天を恨まず」という言葉が出てきたこと。

どれだけ、胸が打たれたことか。

まだ昨日のことのようなのに、いとも簡単に記憶が薄れ、甘えた生活になっている自分がいます。

 

 

75年前の戦争でも、阪神大震災でも、その時代、その土地によって、いつでも「卒業式」はいとも簡単に消えていくのですよね。

いまこの最中も、わたしたちの身近な生活だけでなく、世界中で戦っている状況です。

この状況はしばらく続くでしょう。

そのことで、世界は一つになっている有様です。

 

厳密に言うと平等ではないのですが、平等に起こっていることです。

その意味では、今年の「卒業生」たちも、特別ではありません。

明日からも、普通に生きていけるように、少し工夫していくだけです。

 

 

 

書いている最中に、<東京2020>の延期が決まりました。

<2021>に向けても、淡々と明るく生きていきたいところですニコニコ

 

 

今日も、生きていられることに改めて感謝しますウシシ