本題です。自殺強要での起訴は可能かという話です。
 結論から言えば不可能でしょう。自殺は本人の意思による行為であり他人のせいにするには無理があります。目の前で飛び降りるよう強要でもしない限り犯罪には問えないでしょう。

 起訴できたのは明らかな犯罪のみで、学校に責任が問えたのはそれらの犯罪を防止できなかった管理責任のみです。私はこの管理責任を問うのも無理があると思っています。

 以下に、この問題のまとめと必要な視点、考え方などを書いて結論としたいと思います。

指導上は、
 ・いじめで立証できるのは証拠、証言がある場合のみ。立証はかなり困難。
 ・学校で指導できるのは被害の訴えがあった場合か現行犯のみ(認知できなければ指導できない)

管理上の責任として
 ・学校は子供の行動に対して全ての責任を持っているわけではありません。

  生徒は部下なのか?客なのか?

 部下なのであれば管理責任は問えるでしょうが、教員の言うことを聞かない場合は生徒を処罰できることになります。学校が荒れるのは言うこと聞かない生徒が暴れ、犯罪を起こすからであり、それを処罰、排除できれば学校は安定しますが実際にはほとんどできません。
 その言うこと聞かない生徒を指導するのが生徒指導で教員がもっとも苦労するところです。NHKなどが目指す?いじめ撲滅は、キャンペーンや社会運動などで実現するものではないでしょう。

 塾と同じのように客ならば、授業中に起きたこと以外は基本的に当事者の責任となり保護者同士の示談または裁判になるでしょう。
 極端な話として、スーパーの駐車場には駐車場内での事故は責任を負いませんと書いてあります。
 なんか勘違いしている親が多いようですが、教員は親の管理・保護義務の代行をしてるわけではなく、訓練、教育の場でしかないのです。

 ・特に学校外で発生した事件については当事者の保護者同士の問題です。


社会的には
 ・保護者は子供の監督・教育責任、子供の行為に対する全責任を負っています。

 学校はあくまで教育の場でしかないので、子供同士の問題で学校の管理責任を問うのは無理があります。親としての子供の監督・管理責任を放棄しているとしか思えない事例が多ように思います。
 今回(他の事例でもほとんど同様)の事件では学校が隠蔽した、責任逃れだとマスコミ、被害者が大騒ぎしているようですが、学校・教育委員会でできることには限界があり、最低限のことはやっているといったところでしょう。(指導上の力量の無さはまた別の問題)

 大津の事件では、自殺した子供は被害を訴えずにいきなり自殺してしまいました。おばあさんの預金を勝手に下ろしたときも親に事実を伝えませんでした。この自殺は、学校が全て管理し、何も言わなくてもいじめを発見し防止できる神通力があり、証拠が無くても処罰できる法律をも超越する状況でなければ防げなかったでしょう。
 自殺した子供の親は、自分の子供を被害者扱いする前に、不条理を訴えることせずいきなり自殺してしまうふがいない子供を育てたことを悔いる必要があるでしょう。


教育として
 ・指導上の第一優先順位は「自殺防止」。

 学校では摸倣犯がよく起きます。自殺が被害者として騒がれるようだと自殺ブームが起きてしまいます。今回の報道で私が危惧しているのはここです。実際には自殺は一時的に増えた可能性があると思っています。
 学校が事件を隠蔽したと大騒ぎしていましたが、子供たちがうわつき、動揺し授業どころではなくなる、尾ひれがついたうわさや類似・摸倣犯が頻発する、ということがあるので事件を公表しないということはよくあることです。
 マスコミは大騒ぎが商売?ですが、事件を報道する以上に「自殺をしてはいけない」を主張すべきだと思うのですが・・

 そして、もうひとつ危惧されるのが、いじめをネタにして教員を脅す事件が起きないかということです。
 狂言的に「いじめられた」を訴える生徒やことあるごとに「うちの子供をいじめた」と学校にクレームをつける親などです。こういった騒ぎがあると何ヶ月間かはこういったことが起きます。


 ・素直な子供が突然大人になるわけではない。

 倫理観も低く、経験も浅い子供たちが怒られながら何が悪いかを学ぶわけで、事件なしで卒業することはありません。いじめや喧嘩、窃盗などが学校からなくなることは今までも無かったしこれからもないでしょう。
 学校は子供を放り込めば素直な大人になって出てくるマジックボックスではありません。

次回は、中断していたいじめの指導の仕方です。