昨日(2012年4月29日)、新型うつ病に関するNHKの特集番組がありました。今回はそれについてのコメントです。

新型うつ病の症状は以下です。

1. 自分の好きな仕事や活動の時だけ元気になる
2. 「鬱」で休職することにあまり抵抗がなく、新型は逆に利用する傾向がある
3. 身体的疲労感や不調感を伴うことが多いのが新型
4. 自責感に乏しく、他罰的で会社や上司のせいにしがち
5. どちらかというと真面目で負けず嫌いな性格

「3」と「5」は従来と同じ症状ですが、新型うつ病と呼ばれている場合の違いは
☆ 嫌な時だけ気分が悪くなる
☆ 自分でなく他人の責任にするのが新型の特徴
☆ 20-30代前半の若い世代に発症して、逃避型や回避型などと呼ばれてる

http://heartland.geocities.jp/singatautu/

 私的見解ですが、ずばり言ってこれは「わがまま病」です。
 「わがまま」とは、生徒指導の用語では上司(教員)の指示に従わない事、あるいは自分の要求が満たされないと暴れる、屁理屈を言って自分を正当化するといったことを言います。

 人間にはいろいろな欲求があります。でも、社会生活においてその全てが満たされることはなく、我慢することになります。おもちゃ屋で子供がおもちゃ買ってと駄々をこねることがありますが、普通は誕生日やクリスマスなど決まったときに買ってもらうルールをつくり、普段は我慢するように指導します。欲求を抑える訓練をするということです。

 子供たち(大人も同じ)の欲求には何々がほしい・したいという「+」方向の欲求と何々したくない・行きたくないの「-」方向の欲求があります。普通は社会生活を営む上でこの欲求が全て満たされることは無く、我慢したり、目標達成のために努力したりします。

 ところが、親が子供の言いなりになっていたり、テストの点数さえよければ後は子供のやりたい放題だったりすると、子供の成長とともにその欲求も大きくなり最後は手がつけられなくなって非行に走ったりします。登校拒否も本質的に同じ理由で、学校がつらい(「-」方向の欲求)、すなわち学校に耐えられなくなるといった「社会不適応」です。

 新型うつ病はこの欲求を我慢できない症状と考えられます。非行、登校拒否と本質的に同じで症状が弱いといったイメージです。


 たとえば、学校においても同様で、やりたくない掃除もやらなければならないし、掃除が終わっても汚ければ怒られることもあります。作業は平等には与えられず、特定の生徒に負担がかかることもあります。そんな中で、効率や結果を出すことを覚えるわけで、そのためにはうまく行かなくてもやってみる、あるいは自分の意見を棚上げしてでも指示に従うという習慣を身につけることが必要です。

 「あれほしい、あれやりたくない」ばかりでは何も身につかず、社会に出てから不適応を起こしかねません。新型うつ病は我慢できない症候群であり、これを防ぐには若い時点で欲求を抑える訓練が必要です。最近の若者は学生・生徒時代にマニュアル通りで効率的に点を取る習慣が身についており、分かりやすく言うと「習い事のような勉強」を高校3年までやっていて、その傾向は昔に比べると強くなっているように思います。


 教員の世界では、生徒が「うるせー」と言い返すこと全て「わがまま」といいます。かつては、教員が何か言ったことに対して言い返すのは全てわがままだと豪語する教員もいましたが、現在においては、生徒は大事なお客様として扱われ、自分の欲求を抑える訓練、人の指示に従う訓練が無いまま成績だけを目標にした教育のあと社会に出てゆく状況です。たとえば公文式のような効率的な勉強法によって最適化された教育が普及し、教育が単調化し、結果的に我慢や忍耐力が極端に低い適応力が無い人間が量産されてしまっていると考えられます。

 それからもう一つ触れておきたいことがあります。それは叱られなれていない子供が多すぎるということです。本来は叱られたら、冷静に結果を考えて対応するというのが基本ですが、叱られると敵意をむき出しにし、基本的な指示に従わなくなるという事例が増えたように思います。まさしく「わがまま」なのですが、叱る=中傷、といった安易な認識でいる子供が多過ぎ、指導が困難になってしまったということがあります。こういう子供が成人し社会に出れば長続きせず転職を繰り返すのは必至、軽くて新型うつかなといった感じがします。


 もちろん、本来子供のしつけは親の責任ですが、家庭、学校とも社会人として必要な教育をおざなりにしているように思います。

 NHKの特集番組で、江川紹子は「今まで教育の不条理を排除しようとしてきた。でも、会社には不条理が多く、それが新型うつの原因(遠因)ではないか。教育から不条理を排除してきたことが新型うつにつながっていないか。」といっていましたがその通りでしょう。
 学校は社会の縮図であり、「職場」とかけ離れた単調化・最適化≒予備校・塾化された学校は生徒の社会不適応を起こしかねいということが言えると思います。この辺の因果関係を自覚し、教育の再構築を考えければならない時期に来ているのではないでしょうか。

 この辺のテーマは生徒指導の内容が一段落したら触れたいと思っています。