万引き、いじめ、カツアゲ、シンナー、etc。中学では事件が絶えません。そんな指導のときに親を呼んでのとある面談時、加害者の親同士がお互いを知っていて、「元車上ドロ」、「番張ってた」、など武勇伝が出てきて教員側が絶句したということがありました。

 いろいろと事件が起きて生徒を指導するときに親を呼ぶと、親の倫理観や価値観に基本的な問題点があることが多く、説得に苦労します。
 典型的なのが万引きで捕まって「何で捕まったの。」と怒る親です。万引きは犯罪でやってはいけないことという指導をしなければいけないのにこれでは捕まらなければいいと思ってしまいます。
 他に、「子供のやったことだから大目にみてください。」、「おとなになればよくなるでしょう。」、といったのんきな対応も問題が多いです。中には「人生に迷うこともあるのよ。」といった青春真っ盛りな親もいたりして、うんざりします。

 親の保護者、監督者としての自覚が無い場合は子供が繰り返し事件を起こすことになり手がつけられなくなり、最後に親が学校に駆け込んできても、1年生のときに言っていたはずですが・・ときすでに遅し、となります。

 なぜそんな風になるかというと、親自身が倫理観無く育っているからです。特に、崩壊した家庭で育つと、親の行動や価値観と決別できず、親への情緒的愛着にこだわって、親のその行動を認めた価値観のままで自分が親になってしまうことが多いからでしょう。ある意味家庭や愛情がなかった欠損感覚の補償でしょう。具体的な例で言うと、「父は飲んだくれているけどみんなにいじめられている。可愛そうだ。オレ(私)は父の味方だ!」といったものです。問題点は飲んだくれてしまうことを肯定してしまう価値観が育つということです。
 そのほかに、最も基本的な話として、親自身が自分が若いころぐれていたことと決別できていないという場合もあります。「中学でグレていて何が悪い」といった感じでしょうか。自分自身が原因で息子(娘)がグレているという自覚がまったく無かったりします。
 崩壊していない家庭でも、受験中心で基本的な価値観や倫理観を教えないまま育つと状況的には同じになります。

 もう一つは、子供の育て方が解らない。普通の家庭のイメージがわからないといったものです。地域社会のつながりが希薄になったのと、子供の数が減ったために、周りで子供が育つのを身近に見ていないといった理由でしつけの仕方がわからないといったものです。この場合も、崩壊した家庭で育った親の場合は、知らず知らずのうちに自分の育ったパターンを踏襲することが多くなります。このときの問題点はどこが叱るポイントかが解らないままずるずると子供が非行に走ってしまうことが多いということです。

 このような経過を経て、親から子へ「非行の継承」がなされる可能性が高くなります。

 普通、子供は何も考えないで行動することが多く、行動に問題がある場合はきちんと叱りやめさせる必要があります。そのためにはしっかりた価値観、倫理観が必要です。少なくても学校(担任、学年を含む)の方針に従う必要があります。自由とか多様性とかいって独自の価値観を持ち込み、生徒指導に横槍を入れるとクラス全体に伝わってクラス崩壊の一因になったりします。特に犯罪がらみ(万引き、傷害事件など)の場合は言い訳、理由などを認めずに、一方的に「ダメだ!」と指導する必要があります。