今回のテーマは評価の仕方、すなわち成績のつけ方です。

 基本的に成績はテストの点数で付けます。後は小テストや宿題、提出物などで評価します。
大概、4月の学年通信か何かで各教科の基準を連絡します。英数国は小テストが多いので平常点(試験以外の配点)が比較的高いようです。
 平常点の割合は教科や教員個人で違いますが、0%~30%位です。高校生になると提出物も減って試験重視の傾向があるようです。

 次に成績が何を評価したことを意味するかというと、それは努力と能力です。テストの点数は一部の漢字や名称を答える暗記物を除くと後は点数は難易度のみで変化して順位は変わりません。テストの点数のまま評価すると実質的に能力評価になります。
 次に平常点ですが、提出物や小テストは勉強してきたかを見るもので努力評価に当たります。この辺の割合で評価自体も変わってゆきます。
  実技教科の場合は、たとえば体育なら泳げるかとか鉄棒で逆上がりできるかなどを評価すれば完全に能力評価になります。

 次に、相対評価と絶対評価というのがあります。相対評価とは、5が何%、4が何%と上から順番につけるもので、絶対評価とは、90点以上は5、80点以上は4といった評価の仕方です。
 かつては相対評価だったので、差がつかないと成績がつけられないという根本的矛盾があり能力評価の比重が大きかったのですが、現在は絶対評価が可能なので、理論的には全員5の評価もありえます。最近は5段階での1評価はあまりしないようです。

 でも、悪い成績がつかなければそれはそれで問題があり、社会に出るまで自分の能力を自覚できないまま卒業してしまうことになりかねません。
 勉強すれば、あるいは教え方がよければみんな100点取れる的な夢を抱いたまま30点で卒業し、よい授業とやればできるの幻を追い続けるまま年を重ねる可能性もあります。もちろん程度問題ではあるのですが。
 もうひとつの問題点は絶対評価だと甘くなるということです。全国テストなどでの客観的評価が必要でしょう。卒業資格試験、認定試験的なもの、TOEFL、TOEICのような評価基準を作るべきだと考えます。

 現在の教育、特にゆとり教育はやる気(意欲、モチベーション)があればやり方次第で成績は上がるという幻想の上にあるように思います。私は、中学や高校でのやる気は学校生活からからの脱落を防ぐという意味しかないということを何度も見てきているので、青い鳥を追うような教育の方向性は止めるべきだと思っています。昔、そして現在でも子供の成績が上がらない理由を教員の力量や教育方法に求める傾向があるので、学校の現状が外に伝わらないのだと思います。

※ ここに出てくる「昔」とは基本的にバブルからバブル崩壊後の数年の頃をさします。