時短 | 日々是好日

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慢性の脳脊髄液減少症の患者のつぶやきです。

こんばんは。

 

今日も?鍼灸の日でした。このコリどうにかならんかなあと思いつつ、取るしかないので。

 

昨夜から吐き気がひどかったので。

 

ちょっと動けて時短料理と称して、マーボ豆腐がの頻度が多すぎるので?皮なしシュウマイに挑戦。

 

同じものばっかり単調だとぼけそうなので。

 

 

でも作ってみたら大して過程は難しくないのに、苦手意識が先に立つ。

自分でもびっくりしてしまう。よほどこうでなければが強すぎたんだろうなあ。

 

スーパーに買い出しに行ったときに体調が悪いと作れないのを想定して、3日分ぐらいまとめ買い。

 

 

毎日買い出しも辛いし。腐らせないという意味だとそっちの方がいいのかもしれないけど、でも余るしね。

 

材料があれば体調がましな時に朝だろうが夜だろうが作れる。

 

しかし、、体調がひとたび悪化しだすと、なかなかそのバランスをとるのが難しい。

 

寝込んだら食材はパーになることは多々あるから。

 

なのであんまり手つくりをこだわらないようにはした。

 

完璧主義というか理想論が高すぎというか、何でも手つくりというのを理想に掲げすぎるとできないときに凹んでしまうので

 

メンタル衛生上、それはやめようというか諦めることにした。

 

私の中でのいいお母さん像というのが強すぎたんでしょうね。

 

 私の母は、小さいころから入退院を繰り返して、共働きで、隣りの市に働きに行き(片道45分ぐらいかな)、更に夜中にまた隣りの市まで父を迎えに行くんだからそりゃあ倒れますわ。

 

そんなわけで、仕事をやめるわけにもいかず、家事は放棄とまではいわないが、代替案があり、それはそれで、よし悪しがあり、

 

だからかな、私は普通のお母さんというものにこだわりが強すぎたような気がする。

 

自分が寂しかった思い、こうしてほしかった思い。全部全部自分の中で勝手に消化していったから、募ってしまったんでしょうね。変な理想論になって行ったのかもしれない。

 

料理上手なお母さん=温かい家庭 それを実の母に求めるのはあまりにも酷だから自分はこうしようと思ってたんだな。

 

言えなかったからね。変に察してしまうので、親からすれば、手のかからない子で楽だったといわれたときは、

本当は違うんですが、、、です。

 

本気で母が料理したら上手いのかは記憶がないからわからないけど、ただ一緒にケーキを作ったときは、手つきというか仕草が

母はプロに習ったことがあるので違うなというのは子供ながらにして覚えている。

 

なので下手というより圧倒的に疲労がひどすぎて作る余裕がなかったんだと思う。いつもは母寝てたし。

 

 

いざ自分が同じ立場になったら、もっとできると思ってたが、料理も買い物からして力仕事だから、そうそう理想通りにはいかない。ましてやこの体だから。

 

なので朝から晩御飯とか作ってたりしてた時期とかもあった。

 

多分、子供たちは皆覚えてないんだと思う。子供が小さいときはそれでも頑張ったけど、それは量が少なかったからなんだなと。

今は量が半端ないのでそこに疲れてしまっていた。

 

まさか作れない自分が未来に想像できてなかった。

 

なるようにしかならない。

 

それにしても、全てがいいお値段すぎて、買うのもテンション毎回下がる。出来るだけ安い素材を使わないとと思うが、

 

しんどいと、お惣菜の安い時間帯を狙うが、、それでも食費を抑えるのは本当に難しい。

 

体調が悪いと外に出るのが億劫になるし、玉ねぎ一つ皮をむくのがつらい。ジャガイモもリンゴもハードルが高い。

 

なので最近、コロッケ作ってないなあ。

 

一番つらいのは、焼き飯とか、焼きそばとか、混ぜるのって我が家の場合量が多いため、滅茶苦茶握力使うというか、重たいと思う。

鶏のから揚げすら、切ってないと、そのまんまの大きさだと重すぎて、火傷の痕は手にいまだに残ったまんま。

 

二度とでかいまんまで揚げないと誓ったが、やき揚げといって、少量の油で揚げたらよかったんだよね。

 

疲労困憊だと回らなくなるものです。

 

できるだけ安く簡単にできるレシピを探す。

 

週末もやしを使おうと思ったら、子1が自炊してるのかな?毎日もやし食べてるから勘弁してといわれてしまった。

 

そりゃあ、嫌になるよね。母親道というものは、いつまでどこまで続くよどこまでも???