トナリの青い芝生
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ありがとう、ジョブスさん

トナリの青い芝生-jobs

3月の震災以来、ブログをさぼっておりました。何も書きたくなくなって。
今回書いたのも、前向きな理由ではないけど、色々と思う所もあり、再開する事にした。

ジョブスさんが亡くなった。

この先も、引退したとはいえ、ずっとジョブスさんがクリエイティブなアイディアを出し、僕らをワクワクさせてくれるのかと思ってた。

僕は毎日Macを使って仕事をしている。カラークラシックにはじまり、ピザボックス(Lc3)、パフォーマ、imac、G4(緑、グラファイト)、G5、Macbook×2台、iphone4、iPodtouch、ipod classic。
ずーっと家でも仕事場でもMacを使ってきた。ネットのゲームをする為にWindowsを使っていたこともあるが、楽しくないので手放した。

思えば、中学校の頃に、同級生のK君の父親がAppleマニアで、そのころ、とてつもなく高額なSE/30を自宅に二台持っていた。

そのころパソコンと言えば、データをカセットテープにセーブし、ロードするたびに再生ボタンを押して「ピー、ガー、ガー」という音を聞きながら、ロードが成功しますようにと、祈っていた。じっさい、キチンとセーブがされていない事もしばしばだった。マウスも無し、インターネットも無し。あるのはカプラと受話器とパソコン通信と、セーブするためのカセットデッキだった。
NECのPC8801シリーズが僕らの選択しうるマシンだった。
もしくは、MSX。
そしてその先に、X68000というゲーム専用といってもいいようなPCが憧れでもあった。
(今回これを書く為にググってみてSHARP製だと知りました)


そんななか、そのK君の家のSE/30は、一体型でコンパクト、フロッピーディスク、マウスという、とんでもなく未来の匂いのするマシンだった。しかも、OSも日本語がまだない頃だった。9インチのモニターはモノクロだった。英語のOSなのにマウスで書道が出来たり、直感的に操作できるユーザーインタフェイスにヤラレていた。

トナリの青い芝生-mac_se30

しかし、大学生になった頃も、Appleはまだまだ高嶺の花だった。
なにせ、ハードディスクが1MBで1万円くらいしていたような時代だ。30MBのHDが30万円。
テラバイト、ピタバイトが個人の手に入るようになっている今からすると、テクノロジーは進んでいるんだな、と思う。

1976年にガレージで始めたApple。ジョブスさんがいなければ、本当の意味でのテクノロジーの『進化』はなかったのではないかと思う。もちろん、HDも安価で供給できるようになったり、プロセッサのスピードは上がり、SSDがハードに取って代わりというような「前進」はもちろんあっただろう。

初めてMacを購入する友人や家族にたのまれて、一緒にストアに行き、セットアップをし、必要な物のインストールをして簡単な操作を教える。これがP-RAMのクリアだよ、フリーズした時はこうしてね等々。

そんな人たちが口にするのは、Windowsを使っていたときより、PCを起動する事が増えた、そしてなにより、使う事が『楽しい』ということだ。

そう、OSがWinだろうがOS Xだろうが、UNIXだろうが、どうでもいいのだ。どうやって動いているかなんて僕らには関係ない。使って楽しい、スゲー便利。それだけ。


僕らは、ジョブスさんが産み出した、こんなに身近に感じることができるテクノロジーと一緒に生活している。
時々、進化のスピード、古い物をばっさり斬り捨てるその姿勢に、少しだけ辟易しながらも、それがAppleってもんだ、と割り切って付き合ってきた。これからも変わらないだろう。

iPhone4Sって、for steveか?5、本当はリリースできるのにしなかったとか?Appleならありうる。

ジョブスさん、ありがとう。そして、その眠りが安らかである事を祈っています。
会った事もないけれど、ちょっぴり寂しくなります。






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Appleさん、さすがです。


長い間、Appleユーザーをやっています。
自宅にも現在2台のMac、後輩のウチにG5を里子に出しています。
会社から与えられているマシンもMac Bookの黒いヤツを支給されております。

会社の別の場所で使っているMacを買い替える時に、古いAppleのStudio Displayをドーシテも残して使いたい、という上司のお言葉で、新しいMac Mini購入、まあ、何かケーブル咬ませばオッケーだろうと甘い考えを抱いておりました。

↓こういうモニタです。
$トナリの青い芝生-apple_17in

そしてApplestoreに言った所、Mac miniにつなげるため変換のケーブルを物色し、パズルのように、「一旦こいつに変換して、次にこいつをつないで、、、」とシミュレーションしてもつながらない!
嫌な予感が頭をよぎり、お店の方に尋ねてみました。

「あ、それでしたら、こちらが必要になります」って箱入りカーイ!
だって、僕がイメージして探していたのは、こんな感じのモノなんです。

$トナリの青い芝生-DVI_3

それが、お店の人が持ってきたのは、箱入りで、しかも重いコレでした。

$トナリの青い芝生-DVI_1

中身はというと、本体であるMac miniとそんなに変わらない大きさの物体でした。

$トナリの青い芝生-DVI_2

あり得ないですよ。たかだかモニタの規格コロコロ変えますか?
そしてこの物体、金額が24800円ですよ。モニタ買えちゃいます。アマゾンでさっき見たら、中古が3点、25000円よりって、どうなっとるんじゃい!新品より高いやんけ。

そういえば、製造が終わって、在庫があるモノで最後ってAppleストアのお兄さんが言っていたような気がする。



まあ、その件は良いです。上司の気持ちで使い続ける事を選んだこっちが悪いんです。ええ、Appleユーザーは、古いモノを使い続けるにはそれなりのリスクを払えって事でしょう。長い付き合いですから、よーく分かっております。

しかし、今回、久しぶりに衝撃でした。作業用に買った、現行のシネマディスプレイ27インチ、こいつもか!
確かに、コネクタの大きさが小さいのは知っていました。でも、Macbook(黒)、つながらないワケがないと思っておりました。PowerPCでもなく、Intelっすよ。って勝手につながると思ってました。

さて、モニタが届いてから、Appleストア(歩いて3分)へ変換コネクタ買いにいきました。ここがすでに逆です。コネクタ調べて買えよって突っ込みは無しでお願いします。

さて、今回は、大掛かりな機会仕掛けのコネクタではなくスマートなポケットにインできるサイズのコネクタを探してみました。

アリマセン

「在庫切れかな」「お兄さんに聞いてみよう!」

A社兄 「その機種ですと、つながりません」
僕   「…」「えっと、変換できないんですか?」
A社兄 「申し訳ございませんが、、、」「いつお買い上げですか?二週間以内ですと返品がききますが」
僕   「お願いします。これ、返品される方結構いらっしゃるんじゃないですか?
A社兄 「結構いらっしゃいます。」

そうですよねー。皆さん、気をつけましょう。たかがモニタ、されどモニタです。
ついでに、一緒に購入したiPadも返品させていただき、iPad2を待つ事にしました。

Appleさん、ばっさり斬り捨てるところ、ホレます。なかなか、出来ないっすよ。規格コロコロ変えるなんて。Macbook Airの外付けドライブが専用で他の機種で使用できなかったり、色々言いたいことがありますが、そういう所も含めて、Appleさんについて行きます。



天才を描く人ー曽田正人

久しぶりのブログです。

曽田正人という漫画家が大好きです。
「シャカリキ」、「め組の大吾」、「昴」とその続編の「MOON 昴 ソリチュード スタンディング」、「CAPETA」アツいです。何度読んでも胸が熱くなります。

上記の漫画はそれぞれ、自転車のロードレーサー、消防士、バレーダンサー、レーシングドライバーを主人公にした漫画です。

共通しているのは、破滅型の天才を描いていることです。「MOON 昴 ソリチュード スタンディング」、「CAPETA」は現在も連載中ですが、その他のものは完結しています。

昔々、若かりし頃、「何でも欲しい者が手に入るとしたら、何が欲しい?」という質問に、「才能が欲しい」と臆面もなく考えていた時期があります。今はそんな風には考えていませんが。

なぜ、そんな風に考えないようになったかというと、「才能」というものがその人にぺたっとくっついているような者だと思っていましたがなんとなく、そうではないような気がし出したからです。

では、どう考えるようになったか。
「才能」と呼ばれるようなモノが本当にあるとすれば、それはその人から大きく欠けたような部分があって、それを補う為に発露するような感じではないか、というような事を漠然と思っています。

曽田正人さんの描く主人公達は、破滅型ではありますが、とても魅力的です。理解される事を拒絶したとしても、それでも理解してくれようとする誰かが居てくれることは、とても幸せな事なんだろうな、と思います。


「昴」にプリシラ・ロバーツというバレーダンサーが出てきます。以前、このキャラクターのモデルはシルヴィ・ギエムかな?と思っていたんですが、作者ご本人がttwitterで「直接のモデルではありませんが「男も女も頂点に近い人ほどカワイイ」という私の持論(笑)においてまさにギエムはそのイメージですのでそこはインスパイアされているかも。」

というふうに答えていたことがありますが、この、シルヴィ・ギエムというバレーダンサーの最後のボレロを昔、福岡で見ました。スゲーとしか言えませんでした。バレーなんて分かりませんが、スゴい事だけは理解できました。
ボレロは言わずもがな、twoというコンテンポラリーもスゴくかっこ良かった。四角く照らされた中心で、ありえないくらいキレイな身体表現。ミニマムなのにエネルギーがスゴい。

Sylvie Guillem / two


誤解を恐れずに言うならば、一緒に踊っていた東京バレエ団のダンサー達、もちろん、日本でもトップクラスのダンサー達なのは間違いないんですが、もし、僕にすごい運動神経やダンスのセンスがあったとしたら、死ぬ気でやれば、いつか到達できそうに(誤解を恐れずに書いています。すいません)思えるんですが、ギエムの場所には、なにか、とてつもない隔たりがあるように思います。宇宙人みたいな。

脱線しましたが、「昴」のなかで、ボレロを踊ったプリシラロバーツは、洪水のような情報をオーディエンスの脳にダンスを通じて流し込みたい、というような事を言っていました。演奏を途中でやめたオーケストラの鳴っていない音楽を、自分のダンスで補い、観客たちはそれに気づかず、帰ってからもその音楽が鳴り止まずに眠れない夜を過ごす、というストーリーがあります。

同じような感じで、一緒にギエムを見に行った僕らは、帰りのタクシーで、ボレロを鼻歌で口ずさんでいました。

あ、そうだ、鳴り止まないスタンディングオベーションに答えてステージに現れたときのギエムの笑顔と、チョコンとお辞儀する仕草にも激ヤラレです。可愛すぎます。もっと大きな女性と思っていたら、思っていたより小さな方でした。踊っているときのオーラで大きく見えていたのかもしれません。しかし、キュートすぎですぜ、ギエムさん。

映画の「愛と悲しみのボレロ」のジョルジュ・ドンを筆頭に、振り付けのモーリス・ベジャールが認めたダンサーだけが踊れるボレロ。

優れたスポーツ選手が、極限まで高まった集中力で「ゾーン」に入ると、周りの景色がスローモーションになったり、モノクロになって、奇跡のようなプレーをしたりしますが、曽田さんの漫画の主人公達も、それぞれジャンルは違いますが、「ゾーン」に入る間隔をみな知っています。

どんなかんじなんでしょう。一度入れる者なら入ってみたい。「昴」にダンスを通して、連れて行ってもらいたいものです。

Sylvie Guillem / BOLLERO


そして最後にこの人たちも超絶技巧のダンスカンパニー「ラララヒューマンステップス」の「アメリア」


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