芸能人の自死はしんどい。

何の痛みもなく「◯◯さん、死んじゃったね!」と話題にする人達の言葉が、私にはひどく痛い。

死んだその日から追悼特集を組む報道の現場には、思いやりなんかあるのか、ないでしょと思ってしまう。

惜しい人をなくしました、
まだ将来があったのに、
云々。
その通りなのだけど、痛い。


これ以上悲劇を繰り返さないために、自死予防の言葉がつづく。
「救える命です。周りの人に相談してください」
「自殺願望が本当に危険な状態であるのは5分から7分、それさえやり過ごせば助かるのです」
「少しでもおかしいなと思ったら声をかけてあげてください」

それが、
「救えた命です」
と聞こえてしまう。


うぅ。


こんな事につっかえるつもりはないんだけれど。




今日、心療内科の先生のところで、ピーピー泣きながら「責められてる気がするんです」と話した。
そうじゃないことは勿論分かっているから、誰かに訴える必要なんかないはずだったんだけど、話したら気が楽になった。
泣いたらなんかスッキリした。

先生が、
「我々専門家さえ、仮面を付けて鬱を見せない患者さんの自殺にガックリさせられるんですよ。見えないし、分からないのが真実です。とにかく、報道を見るのをやめて」と言われて、そうだなぁと思った。

見るまいと思っていたのに、ネットニュースのトップに出ているとクリックしてしまう。
他の目的でテレビを見ていたのに、追悼の話題になって、そのまま見てしまう。
そういうのを固い意思で辞めたらいいんだなぁと思った。



きっと、「救える命です」の言葉は、迷っている誰かを救うんだろう。
狭間にいる家族や親友に気づく誰かがいて、誰かが救われるんだろう。
遺族に向けた言葉ではないんだから、聞かなきゃ良いだけのことだなぁ。


クリニックから出た時はまだ落ち着けなかった。一生こういう揺らぎの中にいないとならないのかとか、悲観的に思った。


駅に行き、ホームで待ちながら数日前に娘が乗っていた車両であった飛び込みのことを思い出した。
自死報道が続く最中に生々しい体験をした娘の動揺を思ったことが、今回これだけ苦しくなった原因だったのかなと考えた。
電車がきて、
隣の人とのソーシャルディスタンスを考えたりして、
急行かな鈍行かなとか考えて、
地元に着いたらコーヒー飲もうとか考えて、
そうするうちにいつのまにか私の苦しい気分のピークが過ぎていた。


いつまでも痛いのは確かだけど、こうして泣いても生活に影響させない力はついた。
泣いてもすぐにコーヒーを飲めるし、ついでにパンケーキとかも食べちゃえる(笑)
大丈夫だ!


皆もきっと、自死報道には心を揺らされているだろう。
励ませるかといえば、自分が全然ダメなんだけど(笑)なるべく明るいほうを向いてがんばりたい。


最近は、借りた後雑草に負けて森林のようにしてしまっていた畑を片付け終えました。

愛犬も元気に大きくなってます。



のんびりと、がんばりましょうね、一緒に(^^)