自分を知るには2
自己紹介は→こちら
昨日の続きです。
昨日はウッカリ第三者の目、外側からの評価という方向に話が飛んでしましましたが、昨日の一番最初にあったように、本当に自分を理解しようと思うならばまず、自己否定を止めて自己肯定感をしっかりとつかむ事が大切です。
ということを書きたいと思います。
まず、自己否定がある限り、自分自身を正しく見ることはできません。
正しく見る、ということの今の話題での意味は、事実を見る、です。
事実を見て、肯定して、そうだねと受け入れる。
これが出来なくなります。
自分の現状というのは生まれつきの性質、生まれ育った環境や家族などの人間関係、現在自分が置かれている状況・環境、現在の自分の肉体や精神の状態、ついている職業、歩んできた人生(学歴など)、現在の家族構成、などなど、細かい事を言えば、恋愛であったり、充実感など色々あるとおもいます。
でもどれもこれも、自己否定があると事実を受け止められません。
例えば私は1型糖尿病ですが、ここにもし
《病気になった自分はダメだ(足りない、不完全、存在価値がない等)》
という自分自身を否定する価値観が心に根付いている場合(無意識であっても)、1型糖尿病である自分自身の事実を受け入れられなくなります。
そうなると、どうなるかというと、周囲の対応や職場環境、友人や家族の無理解や責めという状況に置かれることが多くなります。
そして、自分が1型糖尿病であるという事実を受け止められないと、高血糖や低血糖に一喜一憂して感情までもって行かれます。
・自分は1型糖尿病だ(持病がある)
という事実があっても、自分という存在の価値がゆらがないのであれば、それは事実に過ぎず、高血糖になったことも低血糖になった事も事実に過ぎません。
原因の究明、再発防止をするしかないし、なってしまったものは仕方ない。
責めたところで解決しない、という気持ちに切り替えられます。
感情をもって行かれる場合は、またやってしまった、と責めたり、もうやだと自暴自棄になったりします。
これは持病についての事実の肯定ができているかどうかの一例ですが、どんな分野にも言えます。
別の例では、自分の容姿を肯定できていない場合。
可愛くない自分はダメだ、とか、自分は可愛くないと思い込んでいたりすると…
それ以上自分を磨くことをしなくなったり
またはどれだけ磨いても満足しなくなったりします。
磨いてもずっと満足しない場合も磨かない場合も、可愛いねと言う言葉が受け入れられなかったりします。
そしてその場合、他者からの容姿への評価に敏感になり傷つきやすかったりもします。
どちらの場合も、現在の自分をありのままで事実として肯定する事が自己否定によってできなくなっているので、磨くことも出来ないし、磨いたから私はキレイ!とも思えません。
───きりとり───
思ったよりもうまく文章に出来ませんでしたが、なんとなくうっすら言いたいことが伝わるでしょうか(笑)
自分の事実を受け止めるというのはその前に自己否定を手放す必要がある、ということを覚えて下さいね、では!!
2020年