日本も関係して、ドラマのような展開のお城物語:Kellie's Castle | 移住9年!マレーシア生活はローカル気分♡

移住9年!マレーシア生活はローカル気分♡

日仏夫婦のローカルマレーシアライフ。2匹の猫たちと、ナチュラルに
気功とマインドフルで行きます!

 

イポーの近く、Batu Gajah(バトゥ・ガジャ)のラヤ川の傍に建つケリーズ・キャッスル。完成を見ずに廃墟化してしまい、80年もの長い間、ジャングルの中に埋もれていた…

 

にほんブログ村 海外生活ブログ マレーシア情報へ   左矢印クリックしてブログランキング応援してね!お願い
にほんブログ村   

 

 

 

ケリー・スミスと家族の歴史

 

 

ケリーズ・キャッスルは、スコットランド出身のウィリアム・ケリー・スミスによって

 

1911年以降に計画され、1915年に建設が始まった。

 

その前に、ケリー・スミスは、妻のアグネスと出会ったのが、

 

33歳のとき。

 

実にマラヤに来てから13年目の時だった。

 

実母の死により、スコットランドに戻り、

 

またすぐにマラヤに戻って来る船上でのこと。

 

(まだ母上の喪が明けないうちに出会ったんですね…アセアセ

 

アグネスは、リバプールの資本家の令嬢で、ペナン島へと一人旅(!)の

 

途中での運命の出会い(?)。

 

出会いによって、すぐに結婚し、

 

長女が誕生。

 

その11年後に長男が誕生するわけです。

 

最初は、Kelie's Houseと呼ばれる豪邸を建てて、

 

その後に跡継ぎの息子が生まれたので、お城を建て始めたようです。

 

でも、その資本のほとんどが、奥様のアグネスから。

 

バトゥ・ガジャ一帯は世界最大級の

 

錫鉱山の中心地であって、

 

ケリー・スミスはエンジニアと建築の会社を設立、

 

ただし、事業はあまり上手ではなかったようで…

 

何度か窮地に立ったようです。

 

その後、ゴムやパーム椰子などのプランテーションで成功を収め、

 

それによって、息子の誕生にも合わせて

 

お城を建設し始めたわけです。

 

そして、未完成のままジャングルに埋もれていたのが、下矢印

 

 

このお城と、その裏にあるケリーズ・ハウスでした。

 

このお城には、本来なら、

 

室内テニスコートと、屋上のボールルーム(舞踏会用のホール)、

 

マレーシア初のエレベーターを完備した

 

ゴージャスな個人のお城になるはずでした。

 

ところが、発注先のポルトガルのリスボンに、

 

エレベーターを受け取りに行っていた時に、

 

現地で肺炎を患い、死去。

 

イギリス人墓地に埋葬されたケリー・スミスは

 

享年56歳でした。

 

長女22歳、長男11歳(当時、ヨーロッパの寄宿学校へ)と

 

妻のアグネスは、そのままイギリスに戻り、

 

彼らの持っていた会社、敷地、

 

マラヤにおけるすべての資産は別のイギリスの会社に売却。

 

ただし、ケリーズ・キャッスルは未完成のまま

 

放置されました。

 

そして、戦時中には、旧日本軍の標的となり、爆撃されたわけです。

 

(画像はお借りしています。WHW Design)

 

これが往時のケリーズ・ハウスです。

 

お城の前身だけでも、ため息が出そうな大邸宅!

 

この大邸宅の大部分が日本軍によって爆撃されました。

 

 

 

 

 

道路に沿って、ラヤ川の方面のこちら側。

 

これはなんと!お城の後ろ側だそうで…

 

知らなんだ~!!!笑い泣き

 

今では、こちら側が正面のように扱われているので、

 

てっきりと正面なのかと…凝視

 

 

こちら側が、正面です!!!

 

レンガはすべてインドから。

 

70名のインド人の大工をインドのマドラスから呼び寄せ、

 

それと同時にレンガや大理石などもインドから取り寄せ。

 

このお城は未完成のままでしたが、

 

この70名の大工の中でスペイン風邪を生き残った

 

人々の子孫は今でも、この周辺に生存しているそうです。

 

 

大きなワインセラー。

 

この奥にも広がっている!

 

 

未完成のお城から、ケリーズ・ハウスを眺める図。

 

 

これは正面側の通路。

 

レンガの上には、漆喰を塗るはずだったらしいです。

 

 

当時のケリー・スミス家の写真から再現された

 

リビングルーム(予想図)。

 

なお、当時の写真のパネルが説明書と一緒に

 

飾ってあるのですが…

 

画像はすべて、孫娘からの寄贈だそうです。

 

 

2人の子供たちの部屋からも、

 

マスターベッドルームからも、

 

秘密のらせん階段が作られていて、

 

有事の時には、こっそりと逃げられるように

 

仕組まれていました。

 

 

こんなふうに戸外にすぐに出られるように…

 

ケリー・スミスは敵が多かったんでしょうか???

 

 

当時とはすべてが変わってしまったはずですが、

 

遠景の山々は変わらないのかも…

 

 

これは確か、客室。

 

大きなバスルーム付き。

 

 

ここに立った時にまるで本当に

 

ヨーロッパのお城みたい!と思ったほど。

 

 

ここが室内のボールルームになるはずだった場所。

 

出来上がったら、さぞかし、めっちゃ豪華な舞踏会が

 

催されたんでしょうね。

 

 

6階の部分からの眺め。

 

 

横から見ると、右側がお城。

 

そして左側が、邸宅の方です。

 

お城の2階のバルコニーの部分に、

 

ケリー・スミスは幽霊としてよく出て来るらしい…ネガティブ

 

マレー系の人たちは、幽霊が好きなので、

 

でっち上げかもしれませんが…

 

それとスペイン風邪で亡くなった大工たちも

 

幽霊として出て来るそうで…ゲホゲホ

 

 

これが大邸宅の変わり果てた姿。

 

仮にお城が完成しても、きっと

 

日本軍に爆撃されてしまったのでしょうね…

 

あるいは指令室のひとつとして接収された後に、

 

日本軍が去るときに、爆破されてしまったのかもしれません。

 

こうやって見ると、マレーシアの当時の歴史に

 

あまり日本は良い国としては映らないです。

 

マレーシア各地で、大虐殺を繰り返した

 

旧日本軍の日本では語られない暗い歴史も…

 

こういうことは、この国で何年か生活するのなら、

 

きちんとよく理解しておきたいものです。

 

 

ここがキッチンの跡。

 

かまどの一部が残っています。

 

当時は大理石のキッチンだったそうですよ。

 

その奥に召使たちの部屋。

 

 

これがケリーズ・ハウスの後ろ側(前側)の眺め。

 

私が爆撃したわけではありませんが、

 

自分の国、自分の祖先のやったことを

 

つぶさに見て…

 

お城の方は爆撃されなくて良かったのかもしれないと

 

前向きに考えることに。笑い泣き

 

だからこそ、今、この廃墟を見学できるのですから。

 

 

私たちもいつかはマレーシアを離れるわけですが…

 

主亡き後の大邸宅も、建設中のお城も…

 

諸行無常の世界だなと思いました。

 

あっという間に、情勢は変わってしまう。

 

 

マレーシア初のエレベーターが掛かるはずだった

 

タワー(後ろの部分)。

 

 

志半ばで逝ってしまったケリー・スミスは、50代で亡くなって…

 

それもポルトガルに客死。

 

無常だな、って思いました。

 

本当に、この世の中のものは、はかない。

 

 

永遠の流れで言ったら、今生の長さも

 

一瞬の点であって、何も残らず。

 

それなら、なんで人間はクヨクヨと

 

悩むのだろう?と、

 

ここを訪れて、哲学的になってしまった私笑い泣きお願い

 

余談ですが、ケリー・スミスの長男アンソニーは

 

第二次世界大戦中に戦死したそうです。

 

 

  ご迷惑おかけしますが、ブログバナーをポチっと押してくださるとうれしいです。
にほんブログ村 海外生活ブログへ
にほんブログ村
                      上矢印上矢印上矢印 よろしくお願いします~!