戦の計画は科学的根拠に基づいていたというお話
「私説桶狭間」65回目です。こちらです。(←文字クリックで移動します)「軍師官兵衛」が大きなターニングポイントを迎えているようですね。荒木村重の謀反と官兵衛幽閉のエピソードだそうで、これが終わると官兵衛は本格的に秀吉の軍師として活躍していく、ということになるのでしょう。さて、その『軍師』ですが、官兵衛のような参謀型はむしろ少数で、多くは『軍配者』とよばれる呪術と占星術のスペシャリストだったという説があります。戦いの日時や進軍方向などの吉凶を占い、戦勝や敵への呪いを祈祷するという仕事だったようです。あまり有名ではないですが、織田信長にも軍配者がいたという話もあります。伊束法師という人物です。『伊束法師物語』という本が残っているのですが、資料も少なく、織田家中ではかなりマイナーな人物といっていいでしょう。ただ信長にせよ、今川義元にせよ、天候や暦、月齢や潮の干満などを調べたうえで戦いを起こしていたように思えます。「歴探」という古文書や様々なデータを掲載されているサイトがあり、桶狭間に関する考察のページなど、かなり参考にさせていただいています。その中で『検証a10:潮汐と鳴海城・大高城の関連』という記事があり、桶狭間関連の戦いがあったとされる日付の月齢と日の出、日没の時間、満潮・干潮の時間と潮位が掲載されています。これを見ると大高城への補給があったとされる永禄2年10月19日と同11月19日は共に満月の日で、満潮・干潮はほぼ同じ時間です。大高城は浜辺にあった城なので、きっと満潮時に補給するのがベストだったと思えるのです。満潮時間はどちらも日の出からすぐの時間です。当時の戦いは早朝から始まるパターンが多かったというお話もあります。有名どころでは川中島の戦いや関ヶ原でしょうか。どちらも夜明け前に陣立てを行っています。意図的だったと想像できるのです。確かに呪術的なところもあったのでしょうが、科学的な考え方に基づいて作戦を立てていたように思えるのです。今回はその考え方で話を進めました。前回でも書きましたが、向山砦構築のための進軍は7月12日、現在の暦で8月25日に設定しました。東京湾あたりの設定ですが、この日の日の入りは18時24分、月の出は21時54分、月齢21.6日、満潮時間は20時21分です。これ知ったとき、ほんとうれしかったです。あくまでフィクションなんですけどね。