春5 斎藤道三、織田信長に因縁のお寺 妙覚寺
「桶狭間」5回目です。こちらです。 小説上、やっと1日が過ぎました。永禄2年(1559)2月3日が始まります。でも話は早朝のことであり、また逆行したようになります。ところでこの日、ちょこっと書いていますが、このあと信長は将軍足利義輝に拝謁します。実際にはいつだったか分からないのですが。で、これも小説上に書いている通り、義輝の仮御所となっている本覚寺は美濃勢が宿泊していたという二条蛸薬師にあります。ちなみに本覚寺は当時の名前で、元々は妙覚寺と呼ばれていました。天文5年(1536)7月に起こった天文法華の乱という出来事で寺が焼かれ、その後本覚寺という名で当時の地に再建されたそうです。このお寺、斎藤道三が学僧として修行をしたお寺といわれています。天文法華の乱以前のことです。ちなみに、斎藤道三の来歴は父と子の二代に渡るものという説が現在有力視されているようですが、その説に従うと妙覚寺で修行していたのは父親の方になります。その縁もあり、彼の四男が妙覚寺、当時の本覚寺に修行に出されました。後の妙覚寺第十九世貫首(管主)の観照院日饒(かんしょういんにちじょう)です。この人物、道三が長男義龍に攻められ討ち取られる直前、道三が彼宛に遺言状を送りました。『信長に美濃一国を譲る』という内容の国譲り状です。前代未聞。でも斎藤道三と織田信長という人物イメージが沸き立つエピソードですね。そういうこともあってか、後に何度も上洛する信長の、定宿の一つが妙覚寺でした。信長が本能寺で明智光秀に討たれたとき、彼の嫡男(家督相続をした息子)信忠が宿泊していたのも妙覚寺です。信忠は光秀謀反の報を聞いたとき、光秀軍と戦うため、強固な備えを持つ二条御所に移りました。でも多勢に無勢、信忠は自刃し、妙覚寺も焼かれてしまったそうです。偶然ながら妙覚寺は、斎藤、織田ともに親子関係で因縁めいたエピソードをもっているお寺なんですね。ちなみにその後、豊臣秀吉が現在の場所(上京区上御霊前通小川東入)に再建し、現在に至ります。(実は江戸時代にも焼失再建したそうですが)