「私説桶狭間」83回目です。こちらです。(←文字クリックで移動します)
当然創作ですが、竹取物語のエピソードは今川義元の経歴を語る導入部として入れておきたいと思いました。この人物の富士山、そして駿河に対する幼少期の想いを最初に示しておきたいと思ったからです。(当然これも想像です)
では幼少期の義元が竹取物語を読んだのかというと、ちょっと可能性は低そうだけど、なくはないなと思っています。
後にもこの話はちょくちょく出てくるでしょうが、当時の今川家は日本有数の名家で、京の公家や宗長や里村紹巴などの連歌師など様々な人々が駿河を訪れ、滞在していました。
また、義元の母寿桂尼は藤原北家系の名家中御門家の出身で、そんな縁もあって様々な交流があったようなのです。
寿桂尼の父中御門信胤の日記『信胤卿記』では、永正14年4月29日に信胤は今川氏親に太平記の1巻を贈り、11月2日には枕草子を贈っています。
また兄の宣秀や妹の御黒木、甥の信綱、宣忠など、親類縁者は駿府や駿河・遠江へ出向、滞在しています。
この小説の冒頭で紹介する山科言継も御黒木の息子(先妻の子で血縁はありませんが)であり、寿桂尼にとっては甥にあたります。
そんな縁もあったのでしょう。彼も弘治年間に駿府で滞在しています。
さて、では戦国大名はどんな本を読んでいたかというと、『論語』な書五経(儒教の本)や『孫子』などの武経七書(兵法書)、『史記』などの『三国志』などの歴史書、これらは中国関連の本で、日本ではやはり『吾妻鏡』『太平記』などの戦記関連、『源氏物語』などの王朝文学etc.といわれています。
結構今のサラリーマンがビジネス書を読んでいる感覚に近いのかもしれません。
小ネタをひとつ.
武田信玄は少年、青年期かなりの読書家で、理屈屋だったそうです。
孫子の一節などを使って父信虎を言い負かしたりしたとのこと。確かにうっとうしそうな子どもです。
信虎が弟の信繁を溺愛し、信玄の廃嫡を考え、ついには信玄に追放されるという事件が起こるのですが、背景にはそんな事情があったという噂的なお話があるそうです。