しばらくの間、ブログをお休みしていました。
とあるチャレンジをしていて、
それがきっちり出来るまで時間を要したのと、
そのあとズルズルとw
私も人間だものという事で、またニュースタートしていきたいと思いますのでよろしくお願いします。
さて、今日、ふと友達とラインしていて気づいた事。
普段、私たちがコミュニケーションを行なっている背景には、
教育された内容を土台にコミュニケーションを行います。
その教育された内容の理解方式について、疑問を持たなければならない時代なんだと思うのです。
今まで、私たちは、もの存在があるのが当たり前だということを前提に物事を理解し、判断し、それを組み合わせて、論理展開し、生活しています。
もの存在があるのが当たり前でしたが、
もしもの存在があったりなかったりしていることが事実だとするのであれば、
どのように理解方式が変わるのでしょうか??
例えば、目の前のコップがあると思っていたけど、それは真実はあったりなかったりする五次元一つの動きそのものの一部分を切り取って、人間勝手に存在させているものであるということ。
人間勝手な知っている世界の部分にハマることに気づき、
そして、そのイメージから自由になれること。
これがどれだけの価値なのでしょうか。
人間の知性が、意識の次元が変わることがどのくらいの大きな大変化なのでしょうか。
それは、天動説から地動説並みの大ショックであり、大変化であると言われています。
体の範囲が自分だと思う世界から、
全部が自分であり、その実態は上昇した無であり、それを成り立たせる関係性だけがある真実の自分。
私たちは、自分に対する規定が変わり、世界に対する意味や価値が変わり、
それから活用されるあらゆる文化文明が大きく変わるのです。
人間の知性は、まだ古い思考方式を元に作られた野蛮な時代と言えます。
この知性がバージョンアップさせることができるのか。
そして、それを世界のスタンダードにできるか。
この一大事というか、大変革を行うことの価値や意味を理解し、世界に広げていきたいと強くおもったのでした。