先日、哲学カフェなるものに参加しました。

 

 

その時のテーマが、

 

多様性とわがまま

 

でした。

 

主催者の人が、ベジタリアンだそうで、友達四人と食事に行った際に、友達から、ベジタリアンであるがゆえに、お店選びに苦悩していた際に、友達から、わがままだよねと言われたそうです。

 

多様性はわがままなのかという投げかけでありました。

 

 

その時のトークはライブ感があってとても楽しかったのですが、

 

改めて私なりの整理をしてみようと思いました。

 

 

さて、多様性についてですが、

 

観点を取り入れたら、

 

観点は育った時代や環境によって十人十色と言います。

 

みんな持っている

みんなバラバラ

一つにすると問題

みんな不完全

不完全だが無意識で絶対と思ってしまう

 

という特徴があります。

 

つまり、みんな個性があって当たり前であり、多様性しかこの世界はないと言えます。

 

 

また一方で、その多様性の中で、生活していたら、違いが目について、その違いに対して、相手を否定したくなります。

 

それが、わがままだという発言につながっているのでしょう。

 

しかし、ベジタリアンがわがままな存在なのでしょうか??

 

ベジタリアンがわがままな存在だと事実になるには、

 

74億人の人たちから、ベジタリアンはわがままであるという認定をもらわないといけません。

 

それは可能なことでしょうか。ちょっと無理でしょうね。

 

ベジタリアンはわがままであるというのは、事実ではなく、その人の(あるいは、一定の集団の)思い込みだということになります。

 

思い込みの中で、ジャッジしている状態では、進む話も進まないのです。

 

これを脳科学的に言いますと

 

みんな人間五感覚脳を持って生活していますので、

 

脳のくせに影響を受けているので、

部分だけをとる

違いだけをとる

過去と繋げる

有限化させる

のです。

 

全体、共通、今ここ、境界線のない世界を認識することができない不完全の脳を使って生活してます。

 

つまり、違いしか認識できない脳の初期設定にハマって影響を受けている状態では、わがままだと判断を無意識で絶対と思って、それ以上の話し合いが難しいのです。

 

ある人からしてみれば、ベジタリアンはわがままだという決めつけが絶対なわけですし。

それが絶対ではないっていうところに観点がまず移動することが大切だと思います。

 

これを観点が非認知から、認知になったと言える状態です。

 

世間には、まだまだ観点を非認知の方が多いので、

少しでもこの内容が世間に広まればなと思うところです。

 

以下の二つの動画は上の話をとってもわかりやすく説明しています。

 

ぜひ時間のある時に見てみてください。

 

では、おやすみなさい。

 

観点のことがよくわかる、ほめゲー主催の依頼を受け賜っています。

問い合わせ先は、

相原 弘明(ピロリン)

regenbogen650@gmail.com

まで