Noh Jesu著 『認識革命 日本から始まる黄金時代から 』から今回も深く掘り下げてみたいと思います。

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成功や幸せになる鍵


このように人は、、「こうすればよくなるんじゃないか」「こうしないほうがいいんじゃないか」など、体験や経験に基ずく「良し悪し判断基準」によって、予測し選択しながら生きています。特に「良し」と予測されるほうを選択しようとする傾向があり、この例題の場合も、恋人との関係の中で、「嫌われないだろう」という「良し」とされる予測や期待の元で動いています。


しかし、残念なのは、その「良し」に基づいた予測でいくら一生懸命に動いても、思うような結果にはなかなか至らないということです。また思うような結果になったとしても、そう長く続かず、必ずといっても過言ではないほど、その予測や期待は裏切られ、失望せざるを得ない状況になってしまうのです。

期待が大きければ、大きいほど裏切られたショックや失望も大きく、その結果、「私のせいだ」「私が悪かったんだ」と自分を責めてしまったり、「あいつのせいだ」「あいつがわからないやつだったんだ」と相手を責めてしまいます。

 そして、「やっぱり私は愛されない人間なんだ」という自己アイデンティティを再確認し、その規定をより固めていってしまうのです。その後も、その「愛されないわたし」という自己アイデンティティからあらゆるイメージがつくられ、感情や思考、表情、言葉、行動へと影響を与えていくのです。このように人間は、自ら自分自身を条件付け、「自分自身をどう思うのか」というアイデンティティを規定しているのです。つまりそれは「自分の限界を自ら決めつけている」ということでもあるのです。

 ここまでの話をまとめると、「生きることは、自分自身をどう思うのか、という思い込みや意識を蓄積させていくプロセスである」と表現することができます。つまり、人間のすべての生存活動は 無意識では、「自分自身をどう思うのか」によってすべてのエネルギーが整理され、蓄積されてしまいます。


「自分自身をどう思うのか」=「自分自身をどう表現するのか」 であり、その思いの選択が自らの限界をつくるメカニズムなのです。


人間とは、自分が決めつけた自己アイデンティティによる深層条件反射で、すべての思い、感情、表情、言葉、行動のパターンを選択する存在です。無意識にいつもやってしまう選択は、無意識的深層条件反射つまり、機械的選択といえるのです。


 ですから、「自分自身をどう思うのか」という自己アイデンティティのパワーは、人間が生きていくうえでとても大切な道具であり、力なのです。



人間は自分の言葉、論理、感情を否定されれば、じぶんが 否定されたように思ってしまいます。これは無意識であっても、自己アイデンティティとつながっている言葉、論理、感情ですから、じぶんが 否定されたように受け取ってしまうのです。

 ですから、成功、幸せ、感動の人生を送るためには、「自分自身をどう思うのか」の自己アイデンティティ蓄積に対する新しいやり方をマスターすることです。「りんごを食べた」という行為や意識は、無意識では、「りんごを食べた私がいる」という自己アイデンティティ意識に変異し、蓄積されていくのです。

 すべての出来事、すべての言行は、このように自己アイデンティティ意識に変異して、蓄積されていきます。人間は一日24時間、1年365日、人生ずっと「自分自身をどう思うか」という自己アイデンティティ意識の蓄積だけをしているのです。なぜなら、真実の世界には、自分しか存在しないからです。



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以上が抜粋です。


日常生活していて、よく過去の経験からこうした方がいいんじゃないかと、やっています。


それは、常に自分の経験したことを基に良し悪しの判断をしています。


その選択を常に私たちは、繰り返し行って生活しています。


特に、よしと思うものを選択する傾向にあり、嫌われないとか、生理的に安全なことを選択してしまいます。


しかし、そのよしとされた予測をいくら行ったことですら、


永遠にうまくいかないのです。必ず、期待は裏切られることが起きます。


その期待が裏切られたことを通して、愛されない自分というものを再確認し、規定していくのです。


愛されない自分のアイデンティティによって言葉や表情が影響されていくのです。


自らのアイデンティティを規定することで、自分の限界を自ら規定しているのです。



人生とは、自分自身をどう思うのかを、経験を通して思い込みを蓄積していくプロセスだといえます。


つまりい、無意識で、人間すべての生存活動が、自分自身をどう思うのか、によってエネルギーが整理され蓄積されています。



自分自身をどう思うのかが、自分自身をどう表現するのかに直結しているため、どう思うのかによってその選択っが自ら限界をつくり、選択を限定させているのです。


無意識におこなってしまう深層条件反射が、自分自身をどう思うのかによって、機械的に反射的に行動を小さく限定してしまう事も起きてしまうのです。


ですから、自分自身をどう思うのか、という自己アイデンティティのパワーは二元が生きていくうえでとても大切な道具になりえます。



私たちは、自分の言葉や論理、感情を否定されたとき、自分が否定されたようによく思ってしまいます。


それは、無意識であっても自己アイデンティティとつながった言葉、論理、感情を否定されると、自己アイデンティlティを否定されたように受け取ってしまうのです。


ですから、成功、幸せ、感動の人生を送るためには、自分自身をどう思うのか、の自己アイデンティティの蓄積に対する新しいやり方をマスターすることです。


つまり、自己アイデンティティの変化があって始めて感動の蓄積ができるのです。



りんごをたべたという行為そのものも、無意識では、りんごを食べた私がいると自己アイデンティティ意識に変異しています。


自分がいる。自分が感じる。自分が体験、経験するという、意識の蓄積がそこにあるのです。


すべてのでき音が、自己アイデンティティに変異し、自分自身をどうお思うのかごいう自己アイデンティティ意識の蓄積だけを常にしています。


Nohさんは、真実の世界には自分しか存在しない。と断言しています。


真実の世界には自分しか存在しないからこそ、無意識に自己アイデンティティ意識に変異しているのです。


真実の世界の自分を知ることが、どうやら自分自身をどう思うのかを解く鍵になるようです。