母には、ほんまありがとうの言葉しかありません。
面と向かっては、よう言いませんがね
父親は、父の父いわゆるうちのじい様にも父親らしいことをしてもらわず、兄夫婦に育てられ不遇の時代を過ごしたこともあり、兄夫婦に頭が上がらなかったため、うちの家を顧みず兄夫婦の家のことをするのを悔しい思いでみていた母。
体か弱くほとんど布団で過ごすのに、それでも兄夫婦の家の事では、子供そっちのけでかまいにいく父親。
おやつを買ってきても、子供には買わず、兄夫婦の子供には買う❗
子供を愛して可愛がってはないでしょうが、かなり母には苦痛でしかなかったようで、よく喧嘩しているのを子供心に覚えてます。
で、体調が悪くなる父親の世話と子供の世話を母がする。思うようにならなくて、いらいらから物にあたる父親にびくつく母子。
よくこたつが飛びましたし、こたつの机が割れる。母がケガしたのを今でも覚えています
働かないからお金がない、借金をして、でも借金をしているのを子供には見せないで、働きながらうちを育ててくれた母。
あげくにボケた父親の面倒をみてきた母。
この現状をケアマネにもお伝えし、早々の入所を希望にだして、でも中々入れず、ここでも苦労した母。
母にはほんま感謝しかありません。
父親がボケたときは、あまり悲しくなかったけど、母が入院などした時には、ほんま動揺したのを覚えています
入院を機に、大阪を離れて故郷に帰省することを考えはじめました。
かなり考えて、でも思いきれず、あることをきっかけにでも踏ん切りがつけて、退職して帰ることにしました。
これが、うちにとっては一番思いきった親孝行です
皆みたいなケーキやお菓子等おやつを作ってくれたり、洋食のご飯、普通の家庭に憧れますが、それは人それぞれ。
うちは、母の作ってくれたおやつの寒天が大好きですし、母の作ってくれたおかいさんが大好きです。
母よ❗ありがとう❗
最後に孫を抱かせてあげれずご免なさい
20才頃から既に諦めてくれてたようですが、出来ればかなえてあげたかったね。