おはようございます。
ゆるりのみほです(^-^)
今日は、長男は3日ぶりの学校へ
向かっていきました!☺️
頑張ってます。
彼なりのペースで
行けるときに
行けるかも❗そう思ったときに
それでいい。
親ができることは
きっと
子供のエネルギーが高まっていくことをするだけ。
・・・
だけど
お母さんが無理しないで、心地よい範疇で
やれること前提で!![]()
なのです。
もっとシンプルに言えば
お母さんに合ってないものや
お母さんが無理してまで取り入れたり
取り込んだりする必要はない。
はっきり言っちゃった~![]()
ということなのだとおもうんです。
これって、こうして、書くと簡単に言えるものだけど
実際は
わかってはいるけど○○だとおもうんですね。
それに、
お母さんは、日々、
今を乗り切る方法を探してみたり
子供の理解をするための努力や
相談に出向いてみたり
家でのできることをやってみたり
子供のことだけでなく
子供を取り巻く環境全体にたいしても
お母さんたちは、
やることがまだまだ多すぎて
負担となることがあります。
学校
家
療育
など。
その大きな負担となるひとつには
理解のなさ
が言えるとおもうんです。
人間なので不完全なのは当たり前❗
でも、だからこそ
日々の中で
気づくことは大事なのだとおもうんです。
例えば‼
子供に対して投げ掛けてる言葉です。
どんな言葉を投げ掛けていますか?
投げ掛ける言葉ひとつで
エネルギーの高まりは違ってきます。
・そんなことでどうするの❗
将来困るよ
・生きていけなくなるよ。
・そんなに世の中甘くないよ
・これしたらあれしたら
・努力が足りない
・怠けてる
・ふざけてる
・お母さんは心配だよふあんだよ
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ふ~
書いてるだけで気分が下がります⤵️
でもこれって人間なら誰にでもある
持ってるものだとはおもうんです。
だから、これらをなしにするとか
否定するとか
ダメだそんなことを言ってはとか
無理に押さえ込む必要もないとおもあんですね。
そういうと曖昧な感じに聞こえるかもしれないけれど![]()
なんでもさじ加減なのだと思うんです
でもそのさじ加減も
一人一人ひとり違うわけで。
どのさじ加減がお母さんにとって
子供にとって良い加減なのか
それは、日々の中で
感覚を掴んでいくしかないのです。
話が少しそれるかもですが
今日、本当に悲しいやら
わかってないな❗と腹立たしいやら
ハラワタ煮えくりかえした
ということがありました。
私の母親です。
長男が3日ぶりに登校
私は、ただ聞いてもらいたかったんです
ただ頑張ってるな~🌠
そうかそうか良かったなあ
と
ただ
その言葉が欲しかったわけだったんです
なのに❗
帰ってきた言葉は![]()
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暗い声
ずっと休んでたんか~
今日行ったけど、なかなか難しいな
これからどうする?
何かさせないとこのままだったら
そこから
母の不安、心配がもうとめどなく
続いたわけです。![]()
もうね
私の気持ちは下がる一方なのです。
そんな言葉が私は欲しいわけじゃない❗
いらないから。
そう伝えましたが
人は
なかなか変わらないのです。
でも、身近な存在
近い存在がこういう言葉ばかりを投げ掛けると
これもまたきつい
きつすぎるのです。
きっと、発達凸凹、不登校の子供を育ていると
周囲特に
自分親や旦那さんなど
身近な存在に苦しい想いをしているお母さんたちも
結構多いのではないかなとおもうのです。
わたしも、これまで散々嫌なくらい
ここに向き合ってきました。
これまでに比べるとましになってきてるものの
やっぱり
身近な存在には
頑張ってるね!
いいね❗
大丈夫よ
ゆっくりいこー
それがあなたの良いとなんだよ
とかね
言ってもらいたいわけです。
大人になって
親になったって
子供の心は持ち続けている部分ってあるとおもうんですよね
誰だって
認めてもらいたいし
わかってもらいたいし
誉めて欲しい‼生き物なのだと
思うんです!✴
私にも言えることだけど
そこを理解したうえで
気づいた上で
目の前の子供に立ち返ったとき
どうすればいいのか?
そこにたくさんのヒントが詰まっているので
自分はどうなのかなあと
自分の心を
ほんの少しから覗いてみて下さいね~🌠
きっとお母さんと子供にとっての
本当の意味で幸せになるエッセンスが詰まっていますよ~🌈🌈🌈