こんばんは。
今日は、遅くのブログとなりました。
今日から家庭訪問が始まり
授業も給食食べてからの下校で
早く帰ってくるので
午後からは忙しく過ごしていました。
今日は、次男の誕生日❗でもあり
一緒に誕生日プレゼントを買いに行ってきました。
次男はワクワク、とても嬉しそうに
どれにしようかと
目を輝かせながら探していましたが
私も、一緒に探すこの時間が
この一瞬、一瞬がものすごく新鮮で
選ぶ楽しさ、ワクワク感
私も一緒になって
自分が買うかのような気持ちになって(笑)
いました。
なんでも、付き合わされてる
とか
子供のためだからとか
誕生日だし、このときくらいは付き合ってあげないととか
そういうのが前提だと
親は、楽しくないわけです。
・早く決めてよね
・それにするの?
・同じようなのばかり持ってるけど
またそれにするの?
・もっと役にたつものを選んだら?
・ひとつは本でもかったら?
などなど
つい
つい![]()
言ってしまってる
ということありませんか?
以前の私はありました。
だから、付き合わされてるわけなので
ずっとどれにしようか
迷っていたり
何度もあっちいったりこっち行ったりすると
だんだんと
イライラ😒💢💢
早くしてね
と雲行きがあやしくなる私でした。
でも、その前提を
私も楽しんじゃう
にしてみる。
もっといえば
私がその場や、その一瞬一瞬を楽しむ🎵
というのを前提にすると
本当に楽しくなってくる‼
ということを、実践したうえで実感している。
子供に付き合わされてはいないので
子供がどちらにしようか悩んでいても
その悩んでる姿も微笑ましく思えてきたり
あっちいったりこっち行ったりして探しても
それだけ、いろんなおもちゃが魅力的であり、興味があるわけで。
きっと子供の心の中は、ワクワク ドキドキでいっぱいなのだとおもうし。
そうしたら
わたしも、イライラしなくなっていて。
私も次男と一緒になって、ワクワクドキドキしている(笑)
わたしが、子供より
真剣に探していたり
これいいね✨
あれもいいんじゃない⁉
とか
私のほうが目を輝かせながら
本気なときもあって![]()
でもね
そんな時って
自分も子供に戻ったような
そんな感覚が得られるんですよね。
子供のころの
あの無邪気さや
純粋な心や
一瞬一瞬を本気で生ききってる
喜怒哀楽の表現者
などなど
わたしも、子供のときは
そうだったのだとおもう。
社会に出るようになってから
大人になってからの自分やわたしは?
そうおもったとき
大多数のひとが
きっと、あのころの
無邪気さ
純粋な心
喜怒哀楽を
大人になるにつれて
どこかへ、置いてきてしまったのではないかなと。
もっといえば
置いてくるしかなかった。が
もしかしたらしっくりくるかもしれない。
でもね
自分の子供たちを見ていると
・もっと子供みたいに
無邪気でいいんだよ。
・喜怒哀楽はどれも大事で必要なものなんだよ。
・どんな感情が出てきても🆗‼
・どれも、自分が感じたい感情なんだし
わたしに、感じてもらいたいだけなんだよ。
・気付いてもらいたい感情でもあるんだよ。
こんなことを
子供たちから伝わってくるし
感じたんですね。
いつしか、置いてきぼりにしてきちゃっていたものや、感情などを
取り戻すことができたとき
今の大人となった私と
子供のころのわたしとが
統合されたとき
心からワクワクしたりドキドキしたり
本気で楽しむというのが
こういうものなんだなという
感覚を味わうことができるのかもしれない。
子供って
本当に沢山の気付きを与えてくれる存在。
