こんにちは
私の息子は、診断では発達障害と言われています
発達障害とその言葉だけ聞くと
なんだか重たい感じや
かわいそうにとか
一生治らないのではとか
偏見な目をもったり
きっといいイメージって持っていないのではないかなと思います
確かに、診断が下ったことで、安心はします
なんだかわからないけれど子育てに違和感があって
育て辛さがあったなら
こういうことだったのか
と妙に納得したり
自分の子育ての仕方が原因ではなかったんだな
ということに、まずは、ほっと肩の荷が降りると思います
私もそうでした
自分の関わり方、しつけの問題なのかとかなり自分を責めました
今思うと自分を責めても何も状況は変わらないのに
むしろ、どんどん歯車が狂い始めて
状況が悪化する![]()
こんなに頑張ってるのに
なんで報われないのって
また悪循環![]()
診断って
そこだけにとらわれてしまうと
絶望におもえるかもしれないけれど
そうではないと思う
診断はなんのために下るか
いろいろな考えがあるとおもいますが
その子の、その人の困り感をみんなでで支え合って行くことが大切で
みんなで支え合えるように特性理解をしていきましょう
もっと生きやすい世の中にしましょう
という自分なりの表現ですが、メッセージがあるように思います
発達障害という言葉は誰でも一度耳にしたことがあると思います
ですが
まだまだ本当の意味では特性理解までには繋がってないと思います
子供を支えてる親たちは
本当に途方に暮れ、思い悩み苦しんでいます
理解がないことで
何気ない一言で傷ついてる方も沢山おられます
子育てに意欲が持てずに
希望を失いかける人たちもたくさんいるのではないでしょうか
でも、諦めてるわけではない、希望を捨ててるわけじゃないんです
本当は、誰よりも子供の幸せを祈り、自分の足で歩んで行けるようにと
思って毎日を送っている
でも、そんな思いとは裏腹に
なかなかうまくいかないことが沢山あります
子供のことだけに専念できればいいですが
自分自身の問題や
夫婦の問題
人間関係の問題
家族の問題など
みんな何かしらの悩み問題を抱えながらも子供に向き合っている
特性あるなしに関わらず
みんな生きていればなにかを抱えながらも生きていってる
だけど
特性のある子供たち(ある人達)は
やはりなにかしらの支えや支援を必要としているひとたちです
一人でも二人でも身近に支えとなってくれるひとがいるだけで
子供もその人達も、そして親もまた安心して子育てしていくことができるんです
一人ひとりにあった対応がその子、その人自身を輝かせて
あなたのそのままをを受け入れてますよ・受け入れますというメッセージにも繋がると思う
そして
それと同じくらいに
どんな状況・状態にいても
あなたはそのままであなただよ
って
どんなことが目の前で起こっても大丈夫だよ
ひとりじゃないよ
みんながもし離れていったとしても私はずっとあなたの味方だよ
信じるよ
そのまんまを受け入れるよ
それを受け入れた時
何かが変わり始める
その子、その人は、自由に生き生きと
どんな自分をも大好きになって
自由に飛び回ることができるようになるのだと思う
私も、息子くんを、目の前にすると
やっぱり、感情的になったり(反省)
ちゃんと最後まで聴いてあげればいいのに
きっとまたこう言うにきまってるでしょなどなど![]()
出てくる出てくる![]()
出来てないことたっくさんあります
だけど
それでいい![]()
そうやって自分も成長していく
一人で成長しているのではなく
息子くんと共に
息子くんから学び教えられる
私は息子君を通して
自分の人生の課題にも向き合っている
自分自身に向きあうこと
見たくない
感じたくないとおもうこともでてきます
でも
それをいったん受け入れる
ただただそうなんだな~
そうだったんだ~と感じて受け取る
そうすると
不思議ですが
妙に落ち着く自分がいます![]()
ジャッジしない
自分を裁かない
これって大事だなと思います
そして
自分の胸にしっかり留めておきたいこと
それは
なにがあっても信じる
なにがあっても一番の味方
その根底がしっかりあって
子供たちやその人たちに向き合えば
必ず
個性豊かに内に秘めてるもの(可能性)を表現していくことが出来るのだと信じてやまない